毘沙門天八方祈願本日までです。
お経には「若し人ありて死苦を受けると雖も 貧苦を受くべからず、 衆苦の源は貧苦に如かず、
福徳を得んと欲する者は 丑寅に向かひて 名号を一百八遍称ふれば 大福徳を得べし。
智慧を得んと欲する者は 東方に向ひて 名号を一百八遍称ふれば 大智慧を得べし。
官位を得んと欲する者は 辰巳に向ひて 名号を一百八遍称ふれば 官位を得べし。
よき妻子を得んと欲する者は 南方に向ひて 名号を一百八遍称ふれば よき妻子を得べし。
長命を得んと欲する者は 未申に向かひて 名号を一百八遍称ふれば 長命を得べし。
眷属衆多を得んと欲する者は 西方に向かひて 名号を一百八遍称ふれば 眷属衆多を得べし。
愛敬を得んと欲する者は 戌亥に向かひて 名号を一百八遍称ふれば 衆人愛敬を得べし。
悉地を得んと欲する者は 北方に向かひて 名号を一百八遍称ふれば 皆な悉く成就すべし。」とあります。
八方祈願はここに典拠があるのです。
しかしながら「死苦を受けるとも貧苦を受くるなかれ」とはすさまじい謂いですが、思えば死は万人等しく訪れるところですが貧苦とそうとは限りません。
この世の過ごし方にかかっています。
貧苦の逆は必ずしもお金持ちでありません。
収入の大きさよりも欠乏しない生活なら全て貧苦ではないのです。
要するに収入が増大するとか儲かるというより、バランスの取れた経済が毘沙門さまの福徳です。
毘沙門天は仏教第一の福の神です。
インドにおいてマハーカーラと言われる戦闘の神、大黒天と習合し、大黒様も毘沙門様にあやかって福の神になられました。
毘沙門様には槍を持つ鞍馬寺の毘沙門天に代表されるような降魔鎮護のお姿と信貴山の毘沙門様にみられるような宝棒を持つ招福のお姿がありますが、当院は後者の招福のお姿を表としております。