羽田談
「罪」の言葉は「積む」「つつむ」から来ていると聞いたことがある。
積むはこころに重しが積まれてのしかかっている状態。
包むはこころの動きが包まれてしまっている状態。
いわゆる悪事でなくともそういう行為は「つみ」と同じ。
重しが載っていたり、包まれているとていると、さらに重しが重なり、包みが重なってもわからない。
罪を重ねるとはそういうこと。
だから懺悔は罪は罪として分離して認識することです。
誤魔化すのでなく認識してとりさることです。
そうすれば頭上に青空が広がる。軽やかな風が吹く。
だから明確に罪の認識が必要。それが懺悔です。
そうして善の方向にベクトルを向ける。