もう早いもので二か月もなく新年が来ます。
こども時代はお正月に百人一首などして遊びましたが、難しい古文で書かれた内容は知り由もなく、ただ歌を憶えてかるた遊びに興じました。
「たちわかれういなばのやまのみねにおふる
まつとしりなばいまかえりこむ」 在原行平
この歌は飼い猫がいなくなったときに唱える咒歌でもあります。
でも実際のこの歌は罪を得て流罪になる行平が妻をしのぶ歌なのです。
この頃になって改めて内容も見ておりますが、いうまでもなく百人一首は多くが「恋の歌」ですね。
それもかなわぬ恋 つれない恋の歌が多い。
身分の高い方々と言えども人の心はどうにもなりません。
いにしえのみやこびとはかなわぬ恋こそ恋の真骨頂と考えたのでしょう。
恋は「請い」ですから。
叶ってしまっては恋(請い)はむしろ味気ないものになってしまいます。
面白いのはそれを歌にして遊び競うということ。
ふられ自慢、恋の愚痴自慢のようなものです。
身分の高い皇族や僧侶までがあられもなく叶わぬ恋の歌を歌って自慢すらしている。
そういう時代があった。
要するに自らの不遇を歌に歌って遊んでいるようなもの。
世に有も稀なる文化ですね。
今の文化では叶わぬ恋はむしろ人に知られないようひた隠しにする人も少なくない。
恋が叶わぬ人に悩む人も劣等感などに悩まずおおみやびとのこころに遊んでみてはどうでしょうか?
なれば叶わぬ恋こそが本当に素敵な恋なのかも。
今日はガラにもなく恋の話を致しました(笑)