本日、北政所400回忌法要が三井寺で厳修。
秀吉公は叡山焼き討ちを悔いて、三井寺の堂塔伽藍を山上にあげてしまいましたが
奥方の北政所、ねねは秀吉公亡きあと三井寺を手厚く加護されたと言います。
一方の秀吉の妻である淀殿は若いころ教えを受けた教学部長の板沢先生のお話では、三井寺が今までの秀吉の仕方を深く恨み、豊臣家を調伏しているのでは?と深く心配して、何度も豊臣を調伏はしないように手紙を送っているときいています。
本日、北政所400回忌法要が三井寺で厳修。
秀吉公は叡山焼き討ちを悔いて、三井寺の堂塔伽藍を山上にあげてしまいましたが
奥方の北政所、ねねは秀吉公亡きあと三井寺を手厚く加護されたと言います。
一方の秀吉の妻である淀殿は若いころ教えを受けた教学部長の板沢先生のお話では、三井寺が今までの秀吉の仕方を深く恨み、豊臣家を調伏しているのでは?と深く心配して、何度も豊臣を調伏はしないように手紙を送っているときいています。