前の続きです。
感じると言ってもこれはない事もないようにとはいかない。
すべてカルマの所為だからそれなりに出てくる。
だが結論は危機回避であるとか、回復するという予測を立てるのです。
それは念じるにならないように漠然と感じる。
あまりつよく感じようとすると念じるになる。
こうして焦りなく共無事であることが感じられれば安心につながる
実はこの安心の心こそが信心であります。
だから信心と言っても簡単にはできない。
何の結果もえていないのに最初から信心が薄いだの濃いだのいってもそれは無理だ。
信心が足らないなどというが、足らせようとして足るもんじゃない。
そこは本当は不可抗力だ。
信心は信仰のはじめにはない。
信仰の結果にあるものだ。