留守中にあったという光明真言はどこまで届くのかというお尋ね。
別にそれはその方の認識に依るのでしょう。
大日如来の光。
大日の大とは「大」「多」「勝」の三義と言われ、世にある太陽と違って影さえも照らす意味。すなわち「毘盧遮那遍一切所」である。遠近は関係ない。
先祖、遠祖はもとより無煙御衆生にも手向ければ功徳を生む。要はどこまで回向するかということでしかない。
どこまでも照らすと思えばどこまでもと思ってよい。鳥獣魚中に手向けてもよい。
さらにいうなら光明真言は大日の光か阿弥陀の光かなど聞く人も昔あったがそう謂うのはバカの聞くことだと思う。
念仏とどちらがありがたいか?実際はその人の感じ方の問題以外何もない。
あえて言うなら念仏は動物には手向けると聞かない。
人においては同じだろう。
諸仏の体は異なることなし。差別にして一体、一体にして諸仏を生じる。
勝劣など仏にない。
人の機根による差異あるのみ。
どっちが上の下のと争うのは本当のことは何も分かっていない証拠だ。