人生に成功するとはどういうことだろう。
お金持ちになる。社会的ステータスを得る。
そう言うことが成功なら僧侶になっても目的は達成できない。
「いやいや、ふつうはそうでも密教では様々なマジカル方法があるから身につければ鬼に金棒」と思う人もいるようだ。
実際そういう動機で修行したいという人もいるようだが、密教は生き物だ。
生きた仏の働きだ。
法を行うのも便利道具を扱うようなものではない。
逆に自らが仏の道具となってこそが僧侶の本懐だ。
世俗のたくらみをもって仏の世界に潜り込んでも、必ず護法神に暴かれ追い出されてしまうだろう。