旧友から「仏教なんてさあ、」というより「宗教なんか」という知ったような否定的な話をラインでしかけられた。
要はありもしない神仏をおがませてうまく金儲けしていると言いたいらしい。
なんかチョコッと絡みたいらしい。なんか面白くないことが多いのだろう。
勿論私を仏教者と知っている。
わたしは左翼系の学校にいたので宗教なんかアヘンだとか。権力者の民衆統治のためのための幻覚と軽視する話が日常的に多かった。
共産党の民主青年同盟の人も多くいた。「あなたは悪い大人にだまされている」と本気で心配して入るよう勧めてくれる人もいたが断固拒否した。
「それはお前だろう」と言ったら二度と誘わなくなった。
ま、そんあふうで自然とそのころの知人はおしなべて宗教に否定的だ。
だからというわけでもないが同窓会もほぼほぼいかない。
行く理由がないからだ。
懐かしいとも思ったことはない。
会いたい奴には個人的に合えばいい。
特にそういうガチガチの左翼唯物論の人間は必要ないなら個人的にはまったく付き合いたくない。
そんなふうだから当時、私の親しい人間関係はほとんど学外にあった。
だが私は相手が友人であれ、だれであれ、一応は宗教者であるから真っ向から自分の存在を否定されるような論議をされてニコニコとはしていられない。
「その議論を本気でしたい?もしどうしてもするというなら相手しますよ。でも、私、あんたが二度と私にあいたくないと思うような不愉快になるようなことも平気で言うよ。歯に衣着せずにもの言うよから。それでもしたいか?」と確認したら一気にトーンダウンした。
私は無用な争いはしたくないが、逆に誰とでも友達になりたいとかは思わない。
友達1000人とかも変だと思う。
だからフェイスブックも2000人近い友達いたけど,「なんかこれってやだな!気色悪い」と思ってやめた。
だから私は議論はしないことにしている。私的には刀を抜いて斬りあうようなものだと思っている。じゃれあいならしない。
だから極力しない。抜くなら斬る。
そして最大の理由はそんな議論の勝ち負けでもの正しさなど決まらないと思うからだ。
そんなものは口達者な人が勝つだけだ。たとえ私が勝ってもそう思う。
議論するくらいならまず黙って聞く、疑問があれば尋ねるだけでよい。
コメントも必要ない。