聖天さまの材質についての違いは古来言うところだが、それは多くは材質から受けるイメージに依るものなのだと思う。
また金のような貴金属で作るになみなみならない思い入れもあるだろう。
ゆえに古来、金 銀 銅の順に強いという。
いずれにしても聖天さまは聖天さまですからそれはまあ、あまりこだわるものでないかもしれませんが。
一々おたくは金天ですか?などといきなり祈願寺に聞いた人がいたそうだがそれは礼儀を欠いたバカの類だ。
こういうのは何を拝もうがダメだ。
人間がダメだからダメ。
常識のないものに救いはない。
だから人間修行は大事なのだ。
そこはいくら拝んでも拝むだけでは絶対に手に入らない。
こういう人が聞かれたならたとえ金天でもそうではないというべきだ。
祈願も焦りまくった無茶無理な祈願なことが多い。
伊矢野先生や佐古先生のお話では木天が効験が強いという。
生駒様も木天ですね。わが師匠も彫る方が丁寧だと思うと言ってきた。
型ならいくらでもできるからだ。
だからオリジナルを大事にして型を破壊する例もある。
一応わたしの祈願した感じだけで言うと金天は長い目で見た祈祷に善い。
その意味では菩薩などに近い感じだ。
最後にシッカリまとまる完成型の祈願だ。
だから古来、大願にむくという。
ちまちまとした祈願は向かない。続けていくような大きな祈願にこそふさわしい。
一回だけ祈願ではお勧めしない。志がないとダメだ。
銀天は効験が鋭く、最も効果らしい効果を感じる。
短期決戦や効験の早く鋭いことを願うというなら銀天だ。
銅天はオーソドックスで一番多い。
でも材質より薫習が大事、つまりどれだけ拝んでいるかに勝るものはない。