トルコでもイランでも民族紛争の中心にはクルド人がいる。
そういう戦いをずっとしてきた人たちだ。
アメリカのしかけたイラク戦争でもフセイン敗色濃厚とみるや直ちに北方で武装蜂起したが、しばらくして勢力を盛り返したフセインにものの一週間で掃討された。
フセインは拉致されて殺されたがクルド人はたびかさなる弾圧を得意のゲリラ戦でしぶとく生き残った。
彼らが悪いのかどうかはわからない。
彼らの敵であるイラクやトルコの政府が悪いのかどうかもわからない。
おそらくどちらも悪くないのだろう。
民族紛争とはそういうものだ。不幸な歴史の産物だ。
いずれにしても彼らは自分たちのプロパガンダに忠実で勇猛な戦士なのだ。
だから生やさしい人たちではないのだ。
ハッキリ言って平和な普通の国の人たちとは少々事情が違うのだ。
平和ボケの日本人ともまったく違う。
鶏に譬えれば我々が養鶏場のニワトリンなら彼らは精悍なシャモのような人たちだ。
どこであれ戦場にできる人たちなのだ。
その点、肝に銘じなくいてはいけない。
難民とは言え、気の毒だけでは済まないのだ。
クルド人はかわいそうな人たちで私たち日本人がおもてなしして歓迎しなきゃいけないなどという単純なものではない。
彼らは弱い立場だが彼ら自身は決して弱くない。
自分の国がないのは慣れっこだ。
どこでも同じように行動するだろう。
だから友好にもそこは細心の注意が必要だ。
認識を改めないと双方うまく生きていくことはできない。
移民をうけいれるというのはそういうことだ。
世界第七位の移民の国日本。
4位か5位にまでなるだろう。
ただ受け容れるのでなく、我々はそれなりの覚悟をしないといけない。