よその国内の茶番劇のような裁判に控訴の必要なし。ソウル中央地裁は是非、可能だと言うなら罰則の実行をしてください。
毎度毎度聞くも嫌ですから。
一生懸命信仰して拝んでいるのに功徳がみえなかったり、時に良くないことが起こったりすることはある。
人間は、何か悪いことがあるとすぐに何かと結びつけて、原因を仮定し、安心するという心理を持っている。
しかし、その原因を供養や修行に結びつけるのは早計だろう。ましてやそこで挫折すれば信仰の醍醐味は得られない。
日本の各宗派の開祖の伝記を見ると、開祖たちは様々な苦悩を乗り越えている。
泉聖天尊は、何か霊的なものによる災いに思えることは、それは祟っているのではなく気づかせるために起こしているのだと説いている。
常岡一郎先生は、全ての病気や災いは「天からの手紙」であると説いている。
それは今の行動の誤りや心得違いなどを修正するために、天からのメッセージをもらっているのだと考えるものだ。
手紙だからそれを読むことに意味がある。
生きていれば苦楽順逆、様々なことが起きる。
たとえどのようなことが起こっても、平生に信仰心を養っている人は、神仏をよりどころとして、それらを糧にしていくことだろう。
信仰は苦楽順逆を越える道である。
下記の過去ブログも参照してください。
拝んで霊験無いのが不思議
https://oomorigijyou.hatenablog.com/entry/2020/01/20/110311
珍しい猫饅頭を頂きました。馬頭様には素晴らしいおリンゴ
母の亡くなった夜にした猫ちゃんの御祈願のお礼でいただいたものです。
外にもその夜、癌の御祈願もいたしました。猫ちゃん大分いいようでよかった!
馬頭様に感謝です。
私が思い出に残るのは「弁天宗」の開祖・大森智弁尊女のおはなし。
智弁尊女はお子様を病でなくされた通夜の夜も、頼まれてよそのお子さんの病のため祈願に出でかけたと言います。
偉い方です。
私は若いころこの話を本で読んで宗教家とはそうでなくてはいけないのだと感じいりました。
私のようなものは智弁尊女の偉さに到底及びませんが、寺でする御祈願だけは猫であれ人であれ観音様の御祈願で続けさせていただきました。
合掌。
かなり以前ですが「そちらで守護霊様をつけてくださいますか?」と言う奇天烈な電話をもらったことがある。
こういう電話は一時頻発しました。
だれかそういう商売してたんだね。
「そういうことしていません。」と言うと「できないのですか?」と言う。
「できません。」
「・・・誰か知っている先生でできる人いますか?」
「知りません。まともな人でそんなこと言う人はいないですね。」
聞けばどこだかで守護霊様をつけていると聞きそこに行きたい・・・でもお礼金がとても高いので無理だという。で、安そうな行者さん探してるわけですね。
「なんで守護霊もちたいの?」
「幸せになりたいんで・・・」
「へ~、守護霊もつと幸せになるんですか?」
「違うんですか?」
こういう人はたちまちに幸せにしてくれる幸福の神様みたいのしか思っていないから説明しても無駄です。守護霊なんてその人を鍛える鬼の指導教官みたいなもので容赦なく大変な目に合わせます。それも私的な目的ではつかない。
でもこの人は守護霊さえくれば幸運になれるという考え以外はあたまにないようでした。
人は自分に都合のいい思い込みを持つんだね。
そうすればいろんなことはすべて一挙解決。だからあとは守護霊を安くつけてくれる人見つければいい。そういう計算式ができてしまっている。
「いっそ、守護霊なんて持たないで守護神にしたら」
「え、無理ですよ。守護神様はもっとお高いんです!」笑えるね。
「そんなことない、守護神は無料ですよ。」
「エ?!」
「好きなご本尊のところへ行って終生お守りくださいといえばいいのだから」
「そんなので守護神つくのですか?」
「仏教には衆生無辺誓願度と言ってどの神仏でも仏教系なら衆生・つまりどこのどなたでも頼めばこれをお救いするという誓いを自らたててるんです。そういう誓いがないものは神仏とは言わない。」
「神社でも本々神仏習合してたとこなら同じ。○○明神や○○権現は同じですよ。」
迷うなら便法でいわゆる干支のご本尊だって全然かまわない。
「酉年ならお不動さん」とか言うあれですね。
なんか相手の方は「エーッツ…?」と言う感じで、それでも、なおだれか守護神つけてくれる先生いないか?みたいにいうので「そういう人は誰もしりません。」といってそれで電話を置きました。
人の話を聞く気のない人と話すのは無駄ですから。
これは事実です。守護神が欲しければ「守り神になって私をお守りください。」といえばいい。
皆、個別の小さな祈願しか言わないから・・・
そういうのしか聞いてもらえないと思ってるんだね。欲がないんだね。
でもそういったらこっちも守ってもらえるよう真摯なお参りをずうっとかかさないのは当然ですよ。
過去三度の被爆国で非核三原則もあるのに不参加。
これはアメリカによる憲法九條と安保の両天秤の呪縛がかかっているからだ。
野党でいる内は自由だが我が国の政権政党にあって「核廃絶」などと言えば総理大臣の首は即座に飛ぶだろう。
何党だろうがそこは関係ない。
日本にも大統領はいるのだ。海の向こうに。
私はある意味、経済優先でトランプさんが「もう、日本は日本で勝ってにやってくれ」と安保から離れそうにしていたのは日本独立の一種のチャンスだと思っていたけど・・・駄目でしたね。
むしろ前より追い縋ってより大きなお金払ってお願いする状況になった。
民主党のバイデンさんになってもここは同じと思う。
中国香港の一国二制度はうそっぱちだが、二国一制度ともいうべき側面は事実上日米間のテーゼだ。
戦後70年以上たっても日本中に米軍の沢山の基地があり、将兵の食い扶持を養うべき状態はある意味、未だにそのまま進駐状態というべきだろう。独立国の状況には見えない。
母と「えのすい」新江の島水族館にいってまいりました。
母が生前最後に行きたいと言ってい場所でしたが行けずに亡くなったので、白木の位牌をカバンに入れていってきました。
今日はいい天気❕
今日は大寒ながら穏やかな日、海もベタ凪です。
おりしも母が好きなイルカの曲芸が始まったので急いでスタジアムへ。
前座?(失礼かな)はアシカショーからはじまりはじまり。
すぐそばにウミガメ池、屋外ですが海水温は20度くらいだそうです。
江の水ならではのジェリーフィッシュつまりクラゲをイメージしたお洒落な飲み物。
カップは面白いので持って帰りました。これで小魚とか飼えそう。
こっちは本物のクラゲさん。絵の水はクラゲ水槽が充実です。
これどうよ。
港なんかでよく見る水クラゲの乱舞もレイアウト次第で芸術的
そして水族館の花 きらびやかな熱帯の海水槽
私が好きな毒ウツボさん ホントは前にいたニセゴイシウツボが最高でした。
毒ウツボと言うのは噛まれて死ぬとかじゃないんです。
食べると割と当たるらしい。
これは機械遺産になっている深海調査のための潜水艇「しんかい」
これはドチザメさん。あまり泳ぎ回らないサメです。
クロベエみたいのがいると思ったらゴマフアザラシでした。クロベエよりスマートかな。
クロベエはこれです。
ペンギンさんたち!
ここの売りはこの大水槽。一見の価値あり。
時折酸素を吹き出しより幻想的に
このステルスみたいのはツバクロエイ。
ひろい大水槽のかなり水面に近い岩の一角にじっとしています。たぶん彼はここに居場所も見つけたのかもしれない。
大水槽とはいえものすごい数の魚が暮らしている・・・もっともっと大きなエイたちが乱舞している。
「でもね、どんな奴でも生きる場所ってのはきっとあるんだよ。」と彼は語っているようでした。
これは紅梅。大分つぼみ大きくなりました
ちなみに右下のニワトリは置物ですのでお気になさらず。
こっちは蠟梅です。好きなお花。でも花はだいぶしぼみましたね。
スイセンは今が盛り!
バトちゃんはお庭が好き。いつもたいがいここにいる。今年は星祭りの祭礼自体はないので、いつも皆様のお供物にだしている蜜柑は半分以上台湾リスや鳥さんの食べ物にされてしまいました。右側に堕ちてるのがそれ。まあ、いいやね。
今日は暖かいのでみんなうろついてます。ウロウロ (笑)
石猫さんの横には万両の実
これはフユエダシャクの一種。冬にしかいない蛾です。この寒いのにご苦労なことです。こういうムシさんには生まれたくないなあ。さぞ大変でしょ。
家の中では洋ランも咲きました。・・・院代の忌明けが終わればすぐ春です。