金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

仏道修行

当院では在家中心に可能な仏道修行を指導しています

聖天浴油と毘沙門浴油

聖天様の浴油と毘沙門様の浴油。 作法は基本よく似ているけどやってみると違う。 ものにもよるが聖天様ははじめるとだんだん結果の良否が見えてくる。 極端な話が初座からわかることもある。 「よっしゃ、いける!」というのもあれば、 「無理だろ。それ。」…

修行に忖度などする必要なし

弟子師匠というもののお笑いコンビのような仲もある。 冗談を連発する友達みたいな仲もある。 だが本当に行をする目的の師弟関係ならそういうのはダメだと思うね。 そこには関係ない感情や人間関係を持ち込もうとしてはならない。 ハッキリ言って師弟はお互…

密教祈祷できるようになるには

よく聞かれるが本尊と仲良しになる以外ない。 あまり仏教的表現ではないが、いうなれば自らの内に本尊の「分霊」を宿していると思うがいい。 それは自らの心月輪上にまします。 私の場合はキャという梵字。十一面観音の種字。 一体というのとは違う。 一体な…

良き宗教家とはどんなものか

宗教家というものは世間の職業とは少し違う。 たとえば、えらい宗教者、すぐれた宗教家になろうとひたすら学び、精進するものがいたとしてどうだろう。 それはいささかピント外れだと思う。 良き宗教家とはそんなことよりも、いかにしたら人を苦界から脱出し…

行を汚さないこと

仏教の行は「僧伽」で行うもの。つまり集団で行うものが多い。 そんな中で皆と歩みをそろえつつ自己の内面を調えて粛々と行うのが行だ。 だが集団だといろいろある。 本来人の出入りを絶して行う加行なんかも、集団で行うともめごとやいざこざもあったりする…

修法中に喜びが湧く

浴油でも念珠でも無性に楽しくなる、喜びが泉のように湧くことがある。 何がうれしいのか、さっぱりだが・・・ 一種の変性意識状態だからそういうことは当然あるというのが精神医学の見解だろうが・・ 心の仕組みの話はまあそうだろうけど・・・。 多分本尊…

葛城山第三コース踏破

葛城山修行は東京宗務支所12名全員が最後まで踏破。 大変良かったと思います。コースでは今回がもっとも長いそうです。皆、最低三回・満行まではいってもらいたい。

老いは人を開放する

釈尊の説かれたふたつのしあわせ 一つは父母に仕え、配偶者と子供を守り、稼業を円滑にする在家生活の幸せ 一つは人間関係のしがらみを離れて、感情や欲に惑わされず左右されない出家者の幸せ だが前者の幸せはいずれは無くなる。 人生の円熟期を過ぎて主な…

よくなる人 ならない人

釈尊は「愚かな人は死ぬまで賢者に仕えても理法を知ることはない」といっている。 身もふたもない言い方だが真実だろう。 江戸時代・易学の大家で儒者の新井白蛾が似たことを言っている。 「立派な学者と一緒に暮らせば無教養なくだらない人も善化されうるの…

密教観想と月輪

月輪は本有の菩提心 何尊の供養法でも必ず月輪は出てくる。 月輪の上に種字 本尊を表す梵字 種字が三昧耶形 本尊の働きをあらわす事物 そして本尊に変わる。 それら一連の感想は皆すべて月輪上でなされる。 いかなる尊もみな自らの浄菩提心の化身。 たとえ夜…

冷たくて暖かい菩薩の道

遠くにいると暖かく、過度に近づけばむしろ冷ややか。 私の出会ったひとかどの宗教人は皆そうだった。 近づくほどにベタベタと濃厚な付き合いをする人 少し遠くにいるとなんの心映えも感じない人。 それは違う。そういうのではない。 平等なるゆえに等距離に…

自己責任

葛城修行間近。 行というのは色々思いがけないことが起こる。 だが基本的にはそのすべてが自己責任と考えるのが行の世界だ。 基本的に個の世界だからだ。 歩けないならもう下山するしかない。 一時的に助けてもらいたいことは誰でもある。 だが基本的に歩け…

頼むも頼まぬもない

行と自分がいつも別々。これでは行の意味はない。 念誦何万遍しても変わらないんですけど・・・? 変わるわけがない。 行がただの「行い」で「行」になっていない。 行が行になるには行以外考えないのが行だ。 祈願は祈願。行は行。 行に余計な願い事を込め…

心新たに

准胝独部法、10万遍で終わりました。 ほかになにかありませんか? いいえ、密教の法で在家ができるのは三七延命法とこれだけ。 ほかにはなにもない。 これだって縁あって授かった尊い法だ。 また、こころ新たに一からすればいい。行に上も下もない。 他にし…

説明は後だ

密教は象徴の宗教と言われる。 たとえば如意宝珠は菩提心の象徴、舎利つまり仏教のエッセンスと同じという。 だが同時に豊かさの象徴でもある。 無数の宝を生む。 聖天でも荼吉尼天でも弁財天でも多くの財福神は三昧耶形は如意宝珠。 ですが・・・ そういう…

三昧発徳

観無量寿経疏を書かれた善導大師は極楽浄土を感見したという。 そういうのを「三昧発徳」という。 法然上人は「ひとえに善導による」と言われたのも善導大師のその体験あったからこそだろう。 どこだかでその三昧発徳を一週間で成就させるコースがあるので行…

末那識を通過する一洛叉

密教行を始めると、程度の差こそあれ自我意識である末那識を掘り下げるので。いろいろな過去の経験が思い出されたり、思い出さなくても感情の嵐になったりする。 そのために飯縄山の道場に籠り一洛叉つまり十万遍の真言行をしてもらうのだが、これはたやすく…

祈願のベクトル

今日は飯縄山奥の院で聖天浴油、十八道不動供、理趣分、護摩とフルコースでした。 お弟子にも担当してもらった。 そうしたらある人のご祈願を拝んでいてなんか「えらく悲しくなった」という。 これは施主の想いか、本尊の想いか。そういう質問を受けた。 こ…

「忙中 閑あり 」の祈祷

祈祷のなかにも「忙中閑あり」はなくてはならない。 ただ、ただ辰巳上がりに祈るというようなことに終始して祈願していては好ましくないと思う。 言い換えればお茶道のように味わう瞬間が必要なのだ。 古の武将たちも陣屋にて茶を愛する心を大事にした。 明…

延命十句観音経と動物の祈願

延命十句観音経は中国では死刑になるところを一夜に千遍唱えて命を長らえた話があります。 白隠さんの「延命十句観音経霊験記」は実に読むべき本ですが、これによれば日本では十一面観音そして垂迹の天満宮にゆかりのお経ということが記されています。 それ…

上願寺 藤川竜光師 石鎚山に挑む

藤川竜光師 61歳 石鎚山に挑む。 前日具合が悪かったのでどうなるかと思ったら無事登拝した模様でよかった‼ この前、晋山式を果たし、今、浴油加行300座をしながらの行です。 45歳で発心、当院には3年いた。 遅咲きとはいえ先が楽しみな行者です。 霊峰の最…

上願寺 藤川師の晋山式

東京小岩から埼玉県春日部市に移った藤川竜光師が開いた上願寺。 コロナでここ数年延期していた晋山式を本日めでたく挙行されました。 とても肌寒い日ではありましたが、金子宗務総長様、ご子息の埼玉県宗務支所長様、川合宗議会議員様 はじめ有縁の住職教会…

宇宙に自分を一体化させるのは逆

よくスピリチュアルな世界では自分を宇宙と一致化させるワークだの瞑想だのやりますが、仏教的にはそれ認識が違う。 それだと自分と宇宙がいつまでも二つある。 梵我一如と表現する人もいる。 梵と我、ブラフマンとアートマン。 本当のヒンドゥーではどうい…

密教の強み

世の中には様々な宗教があり、それぞれに祈願もある。 だが密教はこれが一番というものを一つ上げるなら防御である。 これはほかの宗教では及ばない。 例えば攻撃呪術に優れていても自分のことは防げないという宗教は結構ある。 故に祈りあいになるとすごい…

聖天様の持ち運び

このところ聖天尊を扱うことが多い。本来は如法衣で撒いて持ち運びしますが、あいにく適当に貸せるものが無いので小五条で巻いてみました。

極楽往生と大通結縁

法華経では生まれ変わりに死に変わりして大通結縁(法華経を輪絵しながら広め、大乗の菩薩を作る)するのが大乗菩薩という。 でも極楽浄土に行ったら二十少劫もの間蓮のつぼみで眠ってていることに・・・ 天人が1,000年に一度下りてきて大岩に天衣をこすり、…

念誦は旅人のように

真言念誦がうまくいかないという人がいます。 どううまくいかないのか? 集中できない。 イメージが作れない。 眠くなってしまう。 いろいろあるでしょうね。 それに同じ真言を何万遍と唱えると拒否反応も出てくる。 そこを通り越してなおも唱える。三落叉と…

そう簡単に法験などあるわけない

行をさせたらすぐにこんな不思議があった こんな効果があったと頻繁に言ってくる人間ほどえてして修行は挫折する。 そのほとんどが期待するあまりの思い込みだからだ。 修行は何があろうが黙々とやるものだ。 些細なことできゃあきゃあ騒ぐのは行者とし甚だ…

胎蔵界加行 やり直し

胎蔵界加行あと5座まで来たところで所用でわたしが出かけました。 夕食は作るのが遅くなるので加行中の弟子に野菜カレーのレトルトを食べておけと指示しましたが、おなかがすいて追加してウドンを作って食べたそうです。 それがナントだし汁を使ってしまっ…

宗教者と宗教業者 

一生懸命やっている新米の行者さん。 自分の考えでしっかりやっていくというタイプと先のよく見えないタイプがある。 どちらも懸命だが、 前者は人を引っ張って行こうと絶えず思考する。目標設定がキチンとしている。 極めて頭脳的。そのための思考錯誤はい…