金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

仏道修行

当院では在家中心に可能な仏道修行を指導しています

良き教師は

僧侶も僧階が付くようなら師である。つまり教師だ。 本宗でいえば準教師と権律師以上の違いだ。 厳密に言えば準教師は僧侶見習いで僧侶とは言わない。 良き教師は常に勉強するものだ。 自分の専門なら聞かれてなるべく知らないことのないようにしなければな…

アンテナ

「密教や修験道を扱ううえで、不思議な話やそういった経験をされた人が多くあるのも 知っており、羽田先生も不思議な経験を過去にされたと思います。 ・・・・そもそも本尊に聖天様を選ばれ、そこに弟子入りされた原点は何だったのかが、可能であれば教えて…

真言だと往生できない?

真言が好きで「オン アミリタテイゼイ カラウン」と言ってお参りしていたら「それでは極楽に行けない。南無阿弥陀仏にしなさい。」という人があったという。 違いがありますか?という質問 インドに南無阿弥仏という漢字の言葉はないから、「南無阿弥陀仏」…

祈りなき修行

「密教をどうしてもやりたい」という人に聞いてみた。 祈りで現実の難問に貢献できるなら是非やりたいということだった。 で質問してみた。 「ではなぜ祈って結果が出るのか?」 その人は心理的な力や技法を考えていたようだ。 だがそれでは違うのだと思う。…

悪魔に喧嘩を売る

本格的に密教修行を始めるといろいろ人生の難問も出てくるものだ。 家族の病気だの、経済問題など自分の廻りに起きてくることが多い。 自らにおきることは内魔。そうでないものは外魔という。 ご相談も始めるとそれに見合う難問が出てくる。 祈祷も同じだ。 …

霊感者の行った呪詛返し

呪詛返し法をお伝えした女性行者さんがあるお知り合いのために用いた話。 「あれ、ききますね」と言われた。 この行者さんは霊感者なので「ああ、この人。何か変なものいるなあ・・・」と分かったので、本人には知らせずにやってみたという。 二度目に逢った…

前世でもしているかも。

なん人かの修行者を見ていると稀に「これは以前も密教やってるな・・・」と思うひとがいる。 以前というのはこの世のことではない。前世のことだ。 そういう人間はもともと次第を知っているように読み進む。 だからやりだしたら早い。 前世で何をしくじった…

御祈願における修行

実は皆様の祈願もまた一種の修行的側面があるのです。 御祈願に大事なことはまず心の強化です。 心の強化ができてこそマジカルなことも起きてきます。 それが日常的に身につくなら祈る事の正否や善悪も分かるようになります。 これは無理かな・・・?という…

特定の問題の方を徹底して祈ってみる。

高野山の三井英光先生も御著書でいわれているが、「誰かこの人」という人を徹底して祈ってみる。 それは必要なことだ。 特に未体験の祈願においてはどのくらい祈ればいいのかという目やすもできる。 勿論その時には金額のことなど考えていない。 たとえば祈…

開眼法を知らない、あるいはない宗派の方へ

正規に祈祷札や霊符の開眼法を未だ知らない方。そもそも宗門にない方。 でもご祈祷はあるという場合。実は方法がある。 その場合いわゆる世俗でいう「魂」は名前を入れた時入る。 これは宗紋に存在しない宗教儀礼をする訳じゃないから全然問題にならない。 …

懺悔行とは何か

ある方が破門殺で在家星祭をして 「父母を殺し、仏前の御供えを盗み、仏法僧を誹り・・・」と過去世に自分がした覚えの無い(たとえ過去世にしていたとしても)ことを全て隠さず懺悔するから悪運を良くしてください、と懺悔するのが、心の中で抵抗があり、辛か…

ある得度希望者の質問

得度希望者からの質問 「まだよく理解していないのですが得度者というのは菩薩行をしていくということでしょうか?」 「いえ、菩薩行は大乗仏教の帰依者ならすべてすべきことです。得度者に限りません。」 「では僧と俗のどこに違いがありますか?」 「大乗…

僧侶になるということ

僧侶になるということは仏様の衆生済度のお手伝いをすると言うこと。 他に意味はない。 ましてや僧侶になりさえすれば直ちにそれができるという訳でもない。 別してそのための修行や学びがいる。 そこが違うだけだ。 戒を受ければ在家でも仏弟子だ。 信仰は…

所帯持ちの方の修行

私に所帯を持たれているお弟子さんがけっこうある。 自分の門下のことをほめるのおかしいが正直に皆「えらいなあ・・・」と思う。 なかなか修行しながら家庭のこともされていくのは大変だろう。 仕事との時間的兼ね合いもそうだろう。金銭の上でもそうだし、…

精神力の祈祷 信仰力の祈祷

若いころと比べて祈願の力は変わらないものか?という質問。 若い頃は体力気力も満ちている。 だから若いうちは祈願以上に修行に打ち込むのがよいだろう。 祈願はというととかく精神力任せの様になりがち、例えば念力を凝らしたりするのはやりやすかろう。 …

初護摩を終わって

久しぶりに護摩焚き。ご本尊の十一面様で焚きました。 今日はいつにない珍しいメンバーが多くおいでで嬉しい初護摩でした。 霊的な色々なものを除去できるので月一回は焚くようにと師匠から言われていたが、やはりすっきりしますね。いろいろなものがボロボ…

十一面様のご祈祷 曼荼羅の祈り

十一面様にストレートに頼むこともあるし、たとえば「寿命延長」の御祈祷などは十一面様の中に准胝仏母が現れて、祈願者に真言のしずくが注がれるように思って拝んでいます。 全ては十一面様を通して祈る。不動明王でも毘沙門天でも同じ。 そうでないと本尊…

感見の像

自由イメージの瞑想。 次々心から浮かんでくるもの。 これは自由に連想することを奨励しなくてもそういう心の癖のある人は何をしてもそうなる傾向はあるだろう。 例えばの話、密教の観想でも「私の場合はお不動様が剣でなく槍を持って出てくるんです。」とい…

葛城神道の幣

これなんでしょう? 実は幣なんです。その昔、葛城神道の灌頂を受ける時に倭錦を使って作らされました。 葛城神道は慈雲尊者になる仏教的な神道ですがかなり儒教的な思想も強いといいます。 このほかにも幸い、有難きご縁によって御流神道、吉田神道などを受…

悟りの人 慈悲の人

悟ることこそ仏教の目的と考える人。 ゆえに山に籠って滝に打たれたり、ひたすら座禅三昧。世俗と接することは少ない。 かたや衆生救済こそ仏教の究極と考える人。 済世利民につとめるが悟りらしきものは未だなにひとつ得ない。 亡き山田恵諦お座主は仏教に…

祈願の周期

祈願には成る周期がある。 それは1,4,7,13で月でも年でもそう。 例えば今月祈ったことはその月の内に結果が出るか四か月後が出やすい。 年単位は遠大なことはそうだが、病気やもめ事の解決などは月レベルで考えるほうが妥当な問題が多い。 治らない…

声なき声を聴きながら

当たり前のことだが行者は一番の本尊の信者でなくてはならない。 だからあれやこれや頼まれて、ただただ拝み倒すように本尊にそれを無理強いするようなのは違う。 それはよき行者とは言えない。 注文をかなえるのが神仏の仕事でもない。 そうではなく、むし…

止観のお話

止観(座禅)の基礎とは簡単に言えば文字通り、心の働きをやめてみること。 四六時中何か考えている癖のある人間にはとても難しい。 今にも走り出しそうな馬にも似た心をくくっておくようなもの。 こういうと「なるほど!心の動きを止めるのが大事なのですね…

通らぬ祈願

一生懸命拝んでいるけどおらぬ祈願には二通りある。 ひとつにはもっともっと拝まないと因縁や業の雲厚く届きにくい祈願。 これは時間かかるけど叶う可能性はある。 いま一つはこれはダメ、無理という祈願。 内容が悪いとは言わなくても縁がまるきりない事と…

密教は心の健康がもとにないと・・・

ある密教僧のかたとのやりとり 某師「心の浄化をやってからじゃないと密教の修行っていうのは効果が上がりにくいと思います」 羽田「確かに精神的にゆがみがある人なんかが准胝独部法百万回やってもおんなじですね。 医療でも患部がわからないといくら腕や機…

秘法伝承の守護神

実際に修されてきた秘法にはどれも其の伝承者の守護神がかかわってきます。 だから学者めいた人が梵字や偈文を「たぶん、ここ、間違いだよね、」となおすと法は利かなくなる。 酷いのになると印までなおす。 同じ名前の印でも伝承によって違うのでそのままで…

聖天浴油と毘沙門浴油

聖天様の浴油と毘沙門様の浴油。 作法は基本よく似ているけどやってみると違う。 ものにもよるが聖天様ははじめるとだんだん結果の良否が見えてくる。 極端な話が初座からわかることもある。 「よっしゃ、いける!」というのもあれば、 「無理だろ。それ。」…

修行に忖度などする必要なし

弟子師匠というもののお笑いコンビのような仲もある。 冗談を連発する友達みたいな仲もある。 だが本当に行をする目的の師弟関係ならそういうのはダメだと思うね。 そこには関係ない感情や人間関係を持ち込もうとしてはならない。 ハッキリ言って師弟はお互…

密教祈祷できるようになるには

よく聞かれるが本尊と仲良しになる以外ない。 あまり仏教的表現ではないが、いうなれば自らの内に本尊の「分霊」を宿していると思うがいい。 それは自らの心月輪上にまします。 私の場合はキャという梵字。十一面観音の種字。 一体というのとは違う。 一体な…

良き宗教家とはどんなものか

宗教家というものは世間の職業とは少し違う。 たとえば、えらい宗教者、すぐれた宗教家になろうとひたすら学び、精進するものがいたとしてどうだろう。 それはいささかピント外れだと思う。 良き宗教家とはそんなことよりも、いかにしたら人を苦界から脱出し…