人によっては行をすると色々と病が出ることもある。
これも業の洗濯だと思う。
そうやって病になってこそ病人の身も推し量れるというものだろう。
それはのちの慈悲を養うことでもある。
そうやって行を続けているうちに正しく精進すればだんだんと病に縁の薄い体になっていく。
昔は私も今に比べると断然弱かった。
辛いし、時間はかかるがそれも大事な修行だ。
当院の徒弟もすべて頑健な人ばかりではない。
それも修行だ。
だからこそ行はなるべく若いうちにすべきなのだ。
いくら業の洗い出しでも歳行って病になったらどうもならないでしょう。