金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

私の法華経

法華経あれこれ

煩悩とともに

部派仏教では欲という欲は生存につながる総じて煩悩は排除が基本。 大乗ではそうではなく欲に良い悪いができた。 大乗の煩悩は狭義には貪瞋痴の三毒。このほか細かな随煩悩がある。 欲とともに生きる、部派仏教から見れば煩悩とともに生きるのが大乗。 生へ…

十如是

法華経の方便品第二はいよいよ法華経が説かれ始める初段。 「凡夫と仏性とではわからない。わかるものではない。 これは仏性と仏性が角突き合わせて初めて分かることである。 だから舎利弗よ。この話はやめておこう。」という釈尊。 だが大智の舎利弗はこの…

弥勒下生までは誰も悟らない?

次の世の仏は弥勒さま、五十六億七千万年も後に兜率天からお釈迦様と同じように下生される。 じゃあ、それまでは仏陀は誰も出ないのか? 釈尊と同じ六大神通を得た偉大な導師は出ないということですが、悟る人はいないという意味ではないと思います。 なぜな…

こころ迷えば法華に転ぜらる

「景徳伝燈録」によれば禅宗で六祖とされる慧能禅師のもとに法達という修行者が訪ねきて対談する。 慧能の系統はのちに「頓悟禅」という中国南宗禅の系譜へと続く。 これに対して漸悟を解くものを北宗禅と言った。 法達は日頃、「自分は法華経を読むが自分は…

安楽行品のお教え

法華経の安楽行品は菩薩行に励むものが近づてはいけない人種を列挙している。 そのなかに大臣、官長がある。 要するに政治を取るもの高級官僚などに親近するなという。 親近とはよしみを通じて慣れ親しむことを言う。 今の統一教会や大教団と政治家の関係を…

「今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子」法華経 慈悲の源

法華経・譬喩品で釈尊が言われた言葉 「今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子」 今此の三界はことごとくわが有なり。その中の衆生はことごとく我が子なり。 これは大聖釈尊のみならず私たちにも同じことが言えることです。 この世と私たちは一体です。 環…

法華経は大乗の理想実現

私は密教を信奉しているが、天台僧の端くれなので当然、法華経も重く受け止めている。 だが、その信仰の仕方はまったく違う。 密教は私の中では自らが選んだ修行法であり、実践する仏教の方法論だ。 だが、法華経には大乗仏教の修行者たる菩薩の在り方が説か…

仏性を拝む

内在の仏性を前提として拝めば、この人は解決法を知っていると考える。 なにせ中に仏が宿っている。 そう思えば自然と物事は明るい方へ向く。 悪い、どうもならない、だから拝んでいると思えばそこに張り付けられてしまう。 それではよくない。 内在の仏性を…

法華経譬喩品第三の「三車」とはなにか

法華経はメタファーに富んでいる。法華七喩と言って七つもある。 一般の人にはあまり興味のないことかもしれないが、法華経の譬喩品にも「三車火宅のたとえ」というのがある。 家の中で三人の子供が遊んでいる。そう家もいつの間にか猛獣、毒蛇や悪鬼などに…

ワンステップの話

法華経の化城喩品。旅を行く一団が疲れ果てたとき、あ、あそこが目的地のお城だと言って一団を休ませるリーダー。 法華経でいうお城はインドの城郭都市ですから名古屋城のようなもんとは違います。 囲いに覆われた中に町があり、民家も商店も行政府もある。…

法華経という神話

法華経って何が説かれているの?と聞かれるが・・・ 法華経は釈尊を主人公とした神話と言ってよい。史実ではない。 上座部で伝えられている仏伝に比べれば、ファンタジーものと言っていいくらいだ。 物語の骨子は「種熟脱」の三益である。 つまり「種」仏縁…

「一切衆生」の思想と「安楽行品」

仏教では一切衆生ということを言います。 誰でもという意味。人間に限らない。動物も神々も鬼神もです。 「四弘誓願」にも衆生無辺誓願度 といいます。 四弘誓願は仏様自ら誓っている「誓」でもあり、仏道修行者が仏様に誓って自らか行ずるものでもあります…

回向文の話 おおいなる祈り

願似此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道 というのが回向文 法華成仏偈ともいわれています。 多くの宗派で唱えられているのをみると日本仏教の基盤にある法華経信仰の厚さを感じます。 師匠はこの法華成仏偈は何の祈願でも必ず最後にお唱えしなくてはい…

十非心 最終回 二乗道

「 十には その心念々に善悪の輪環、凡夫は耽めんし賢聖は呵するところ、破悪は浄慧に由り、浄慧は浄禅に由り、浄禅は浄戒に由ると知って此の三法を尚ぶこと飢たるが如く渇するが如き、此れ無漏の心を発して二乗道を行ずるなり。」 いよいよラストです。二乗…

十非心 その9  無色界道

「九つには その心念々に五塵六欲は外の楽にして、けだし微なり、三禅の楽は石泉の如く、その楽内に重しとおもうは、此れ梵心を発して色無色の道を行ずるなり。」 無色界は欲界、色界の上に位置する上位の世界。 欲界は欲望の世界 色界は欲望希薄な存在の世…

十非心 その8  尼乾道 

「八つには その心念々に利智弁聡、高才勇哲にして六合に鑒達し、十方に仰々たるを得んと欲す、これ世智心を発して 尼乾道を行ずるなり。」 尼乾道というのは塗灰外道のこと。 今で言えばジャイナ教徒です。彼らはきわめて殺生を嫌うので河で生き物を痛まめ…

十非心 その7  魔道 

「七つには その心念々に大威勢ありて、身口意纔かに所作あり、一切弭き従わんを欲するは、これ欲界主の心を発して魔道を行ずるなり。」 宗教者でも成功している人、お説教がうまいとか、特異の神通力があるとか、大寺院の住職、大学者。 なんにせよ大きな力…

十非心 その5 人道

「五つには その心念々に世間の楽を欣んでその臭身を安んじ、その痴心を悦ばしむるは、此れ中品の善心を起して人道を行ずるなり。」 ここにいう人道を行ずるは人道的行為をする意味ではなく、普通の人のありようが語られてるのです。 そもそも人と言うものは…

十非心 その4 阿修羅道

「四つには その心念々に常に彼に勝れんことを欲し、人に下るに耐えず、他を軽んじて己れを珍ぶこと、とびの高く飛んで下し視るが如く、而も外に仁義礼智信を揚げ、下品の善心を起すは阿修羅道を行ずるなり。」 自尊心と競争の世界、自分が人に負けるのが耐…

十非心 その3 刀途道

「三つには その心念々に名の四遠八万に聞え、称揚欽詠せらるるを得んと欲し、内に実徳無うして虚しく腎聖に比べ、下品の十悪を起すこと魔けん堤の如きは、此れ鬼心を発して刀途道を行ずるなり。」 摩犍提とはマーガンディアという異教の修行者です。 お話に…

十非心 その2 血途道

「二つには その心念々に眷属多からんを欲し、海の流れを呑むが如く火の薪を焚くが如く、中品の十悪を起して調達の衆を誘うが如きは、此れ畜生の心を発して血途道を行ずるなり。」 海がすべての川の流れをいざない、火が薪をもってごうごうと燃え上がるよう…

大通結縁

法華経のとても素晴らしいところは「大通結縁」ということ。 簡単に言えば縁を繋いでいく仏縁のリレーです。 種塾脱の三益ともいう。仏縁の種をまく それが熟して芽を吹き育つ そして仏果を得る この繰り返し。 だから寿量品ではお釈迦さまの前世からの弟子…

霊験ある法華経の読み方 一念三千

天台には「一念三千」という考えがある。 三千というのは三千世界で簡単に言えば宇宙全部。 十界互具という境涯に十如是という働き、三種世間という環境を掛け合わした数です。 ここを解説すると話は長くなるので今はアバウトに宇宙全部でいい。 たった一つ…

大通結縁

祈願をしていると人生の交差点を感じる。 闇に徐々に呑まれ沈んでいきながら必死で手をつかんでほしいと願う人。 もう、ここからどこかへ新たな旅立ちをしようとしていこうとする人 勢いよく飛び込んできて、ただ、すれ違うだけだった人もいる。 人生の交差…

疑似霊障を退ける法華経の心

霊障だという方のほとんどは疑似霊障です。 基本的に強い恐怖や瞋りなどの抑圧された思いが鬱積しています。 それが核となり心身の不調となってきます。わかりやすく言えば長期のストレスです。 原典には幼少期のマイナス体験がある人も少なくない。 特に親…

「生きる」という悟りのスタイル

台密の法華経読経作法の一法のなかに「二乗厭離の心を射る」という印が出てくる。 二乗とは「声聞」と言う釈迦の教えをじかに聞いた仏弟子 「縁覚」といわれる他縁によって独り悟った人という人々。 この二つ。それを厭離する。 法華経の教えと彼らの相容れ…

矛盾を生きる 「たとえ劫尽きて大火に焼かるとも・・・」

世の中は矛盾に満ちています。 例えば「慈悲に満ちた生き方」をしたくても生きることは殺すことだと私は思っています。 65億にもなった人類はほかの生き物の住処も食料も生命も奪いながら生きている。 動物同士も殺し合って生きている。 おとなしく平和に見…

性格改善の御祈祷

性格改善の御祈祷できますか? 家族の困った性格のことで時々ご相談受けます。 もともと問題なかったのが変になったとかなら御祈願してよくなるかも。 例えばなんか取りついたようになったとかなら。 でももともと問題ある人は拝んでもよくなりません。 だっ…

余経の一偈をもうけざる者に授けよ

法華経の中に「余経の一偈すら受けぬもの」にこの経をさずけるべしとあります。 つまり余計な知識のないまっさらな者にこそ大事な教えは授けるべきだと言う意味。 これをもって日蓮さんは余経つまり法華経以外のお経は読まないでいいと言われたわけです。 私…

如来の余の深法のなかにおいて示教利喜すべし

法華経の信仰はとかく法華経でなくては駄目だという人が多いけど法華経そのものの中に「もし衆生あって信受せざらん者には、まさに如来の余の深法の中に於て示教利喜すべし」(嘱累品) とあります。 法華経は難解難入であって誰もが理解できる容易に教えで…