次の世の仏は弥勒さま、五十六億七千万年も後に兜率天からお釈迦様と同じように下生される。
じゃあ、それまでは仏陀は誰も出ないのか?
釈尊と同じ六大神通を得た偉大な導師は出ないということですが、悟る人はいないという意味ではないと思います。
なぜなら法華経のいうように仏陀は皆に「仏の智見」を得させようと出現されています。
誰も悟らないならそれは失敗したのだということになる。
悟りを求める「菩提心」もはじめから無駄だという話になる。
こんな馬鹿げた話はない。
そういう仏教神話をもとに悟りをあまりに遠くにおいてはいけないことでしょう。
弘法大師は心中にありて即ち近いものと言われている。
たとえば「法華経」の観世音菩薩普門品つまり「観音経」ではその結びで観音経を聞いて八万四千もの衆生が阿耨多羅三藐三菩提を開いた。
即ち「無上正等菩提」( 最上の悟り )を開いたといいます。
思うにこの弥勒仏まで仏は出ないという仏教神話の存在は、勝手に「仏陀」を名乗り仏教を曲がったものにしてしまわないようにするためでしょう。
そうでないと我こそは仏陀だという不届き者が絶えません。
実際、今でもそういう偽物が幅を利かせています。
そしてそれを信じる人々。気の毒なことです。
もうそういう教祖様を信じる時代はおしまいです。
皆、普通の人間です。
そうでないのは狐狸の変化くらいでしょう。
「まず我々は誰しも凡夫であり、凡夫も悟りに近づける」という二つを忘れないのが法華経の心です。
痴心から増上慢を起して得ていないものを得ているように思いなし、わけのわからない怪しい超人になろうとしたり、逆に悟りなんて…とあきらめてはいけないのです。
今世で悟らなければ来世に、来世でダメならその次の世に。
何度でも悟りに挑戦していくのが大乗の教だと思います