法華経の安楽行品は菩薩行に励むものが近づてはいけない人種を列挙している。
そのなかに大臣、官長がある。
要するに政治を取るもの高級官僚などに親近するなという。
親近とはよしみを通じて慣れ親しむことを言う。
今の統一教会や大教団と政治家の関係を見るにまさしくこの逆をあいているようだ。
まあ、これらは大乗仏教とは似てもにつかぬ宗教だからそれでいいのだろうが。
ただし、法華経によれば、いかなる人といえども向こうから法を求めればそれをふさわしい施すのが仏法である。
ほかにも異教の教師や上座部の学者も親近してはならないという。
要は修行者は必要もなくこちらからよしみを通じないものだ。
相手から影響を受けることや無用の欲心を起すことをよしとしないからである。
講員でも全く趣旨の違う宗教に参加してみたいなどという人は止めないが、それはやめてから行ってもらうことにしている。
以前7日間の研修で極楽を見られるというセミナーに行きたいという人に「行くのは構わない。ただし、その前にうちは辞めてください。」といった。
結局「では行きません。」と言っていたから、行かなかったようだが法然上人が我が信じるところは諸師にはよらず、ひとえに善導大師によるといわれている。
その故は「三昧発徳」と言って極楽浄土を感見したからという。
そんなことが自分でできると思う?
こういう人は絶対とめない。
古の高僧にもまれなることを、末世の俗人が立った七日で感見できると思うそのような浅はかで増上慢な信徒などに用はないからだ。
以前にも全く違うものをやりながらその内容を私に訊ね、答えが得られないと激怒する人がいたが勿論辞めてもらった。うちにいる意味がない。
縁が活かしきれないのは残念といえば残念だが実際問題、いなくなって清々する。