性格改善の御祈祷できますか?
家族の困った性格のことで時々ご相談受けます。
もともと問題なかったのが変になったとかなら御祈願してよくなるかも。
例えばなんか取りついたようになったとかなら。
でももともと問題ある人は拝んでもよくなりません。
だって、そんなの拝んでよくなるなら修養も教育もいらないでしょう。
できてもそのきっかけ造ることくらいかな。
それ以外で唯一できるのは仏性を拝むこと。
法華経の常不軽菩薩品に、常不軽菩薩が出会うすべての人の仏性を拝んでいく話があります。
ご家族を信じて仏性を拝めるのは御家族だけ。
人だのみじゃダメです。
法華経の御祈祷は実は全部これです。
自我偈でも世尊偈でも読んで仏性拝みます。
私は内在の観音を拝むという意味で世尊偈をすすめます。
自分でできるというより家族がすべきことです。
ただ広くすすめないのはそこに大乗仏教の悉有仏性の信仰がないとただの「おまじない」になってしまうのでね。
そうやって拝んでいくうちにひたすら人の仏性とか言っている自分自身の仏性は現れているのか?どうだろうと思うようになる。人の欠点に己も見る。
そこが大事です。
立ち向かう人の心は鏡なり
おのが姿を映してや見ん 黒住宗忠大人
あらめの衣身にまとひ
城より城をへめぐりつ
上慢四衆の人ごとに
菩薩は礼をなしたまふ
(われは不軽ぞかれは慢
こは無明なりしかもあれ
いましも展く法性と
菩薩は礼をなし給ふ)
われ汝等を尊敬す
敢て軽賤なさざるは
汝等作仏せん故と
菩薩は礼をなし給ふ
(こゝにわれなくかれもなし
たゞ一乗の法界ぞ
法界をこそ拝すれと
菩薩は礼をなし給ふ)
※礼と言う字は「いや」と読みます。
城より城をへめぐりつ
上慢四衆の人ごとに
菩薩は礼をなしたまふ
(われは不軽ぞかれは慢
こは無明なりしかもあれ
いましも展く法性と
菩薩は礼をなし給ふ)
われ汝等を尊敬す
敢て軽賤なさざるは
汝等作仏せん故と
菩薩は礼をなし給ふ
(こゝにわれなくかれもなし
たゞ一乗の法界ぞ
法界をこそ拝すれと
菩薩は礼をなし給ふ)
※礼と言う字は「いや」と読みます。