苦手な人というのはあるものです。
ですが、いろいろな社会的な付属物や表面的な違いを除けばみんな同じ人間で怖いことなどないでしょう。
ここではまずお互いを光の塊と感じます。
もちろんじぶんもそうです。
純粋な心、純粋な魂がこの光の塊です。
少しずつ印象は異なっていても「仏性」といってもいい。
表面は関係なくみな光の塊。
それらは決して拒絶しあうことはない。
見方を一枚変えるならそういうものがひしめいて居る。
でも、光なのでお互い決してぶつかることなどない。
営業で車の隣に苦手な人が乗っていても光の塊。
出会う人はみな光の塊。
そう感じてみてはいかがでしょう。
常不輕菩薩はずべての人の仏性を拝んだ。
中には菩薩をいじめた人もいたけど、逃げながらも拝んだといいます。
でもそういう思想だけではそれはできない。
人間には観(イメージのヴィジョン化)が必要です。
密教の強みもそこにあります。