金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

法界無限の信仰

むかし、ある信徒さんが大福生寺の御宝前で師匠に「私は目が悪くて困ります。なんとかよくなるよう拝んでください。目の代わりに手の一本くらいなくなってもいいくらいです。」といったら

師は「たとえ冗談でもそういうことは言ってはいけない!」とたしなめられた。

 

代償の信仰。自分の持つ何かと交換する信仰。

 

これはダメです。

その第一の理由は本尊のお力をみくびることになる。

第二に自分は有限であるという認識になり、法界とリンクしていて無限なるものとつながっているという「空」の思想の否定になる。

 

そんな事しなくても整うものは整う。

同時にそんなことしても整わないものは整わない。

 

Aさんにした事が良い事でも、悪い事でもAさんから還ってくると限らない。

Bさんから来るか、Cさんから来るか、そこはわかりません。

だから人に善を施すなら法界に施したと思いなさいな。

本人から礼を言われなくても法界から還ってくる。

人に仇をするなら法界から還って来ると思いなさいな。

本人から仕返しされなくされなくてもどこかで法界の報復がある。

そういうものだ。

そういう法界の理解があって、そこに尊天のお働きがあり、無限供給がある。