金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

普賢十大願 請転法輪

普賢十大願の第六は「請転法輪」です。

仏様の説法を願うことが本来の意味ですが、今はもうお釈迦様は亡くなっていて「如来在世」の世の中ではありません。

 

したがってこれは肉身の釈迦の説法を願うことは不可能です。

しかし、仏の説法は聞くことはできます。

観音和讃というものがあります。

 

「帰命頂礼観世音 

昔は正法妙如来 未来は光明功徳佛 

十大願の海深く 今比の娑婆に示現して 生きとし生ける者のため

大慈大悲の手を垂れて 種々に済度を成し給ふ 

喩へば万の水澄みて 真如の月の映るごと 感応霊験顕なり 

 

聞くに 法華の普門品 三十三に身を分けて 十九の説法有り難く 七難三毒みな滅し 二求両願も成就せり 若し人現世は安堵にて 後生善処と思ひなば 

常常菩薩を念ずべし 

念彼観音のその力 いかなる障も除くなり 

 

無量の福徳集まりて 春の晨に啼く鳥も 秋の夕べの虫の音も畢竟梵音海潮音 聞声悟道の法の声 

 

実にや仰ぐも愚かなり 扨て又行者の臨終は 蓮の台を捧げ来て 随願往生遂げしめん

 

是れ此の菩薩を信ぜずば 渡りに船を忌むならん さればもろ人皆ともに 童男童女に至るまで 念念疑う心なく 誠に頂礼致すべし

 

南無や大悲の観世音 南無や大悲の観世音 」

 

「春の晨に啼く鳥も 秋の夕べの虫の音も畢竟梵音海潮音 聞声悟道の法の声」の一偈は自然の有様そのものを仏の声として聞くこころです。

春のイラスト(無料イラスト素材)梅・うぐいす

肉身釈迦も宗教的な解釈では宇宙仏釈迦の意を帯して説法する存在です。

 その意味では常に仏陀は我々の周囲におわします。

そもそもこの普賢十大願を説く「華厳経」の生まれた大乗仏教成立時にはお釈迦様はもういらっしゃいませんでした。

普賢菩薩の請転法輪と我々の周囲から心理の声を聴き学ぼうという態度のなかにこそあるのです。