「八つには その心念々に利智弁聡、高才勇哲にして六合に鑒達し、十方に仰々たるを得んと欲す、これ世智心を発して 尼乾道を行ずるなり。」
尼乾道というのは塗灰外道のこと。
今で言えばジャイナ教徒です。彼らはきわめて殺生を嫌うので河で生き物を痛まめたりしないよう川での沐浴はしないで灰を体に塗り沐浴の代わりにしました。
開祖マハーヴィーラは六師外道と言い、仏教以外の代表的な教えのひとつに数えます。
しかしながらこの六師外道とはインドの主流の宗教思想であるバラモン教ではない教えの意味もあるといいます。
ただこの十非心の描写は実際の今のジャイナ教にあてはまるか否かはおおいに疑問です。
ジャイナ今日の戒律は仏教のように出家在家の別があり、
出家者は
- 生きものを傷つけ殺さないこと
- 虚偽のことばを口にしないこと、
- 他人のものを取らないこと、
- 性的行為を一切行わないこと、
- 何ものも所有しないこと
とされました。
殺生戒は仏教より重く、例えば猛獣に殺されそうでも、殺してはいけないとまで言います。
このため在家信者にも農業漁業をする人はなく、商人が多いようです。
とりわけ最も理想的なのは一切食事せず餓死することでした。
バラモン教の供儀などを否定してバラモンの立場をとりましたが比較的、仏教に近く思われていたようです。
食事をせず死んでしまうのは世智心とは何も関係もないでしょう。
仏教でも殺生は戒めますがこうした行為も良いことといいません。
とはいえ、ジャイナ教のことを「利智弁聡、高才勇哲にして六合に鑒達し、十方に仰々たるを得んと欲す」はまったく当たらないでしょう。
天台大師は文献を通してジャイナ教を知るのみでしたし、あるいは尼乾道は全然別な宗教の人たちをさしたのでしょうか。
それはわかりません。
まあ、ジャイナ教には申し訳ない迷惑な話です。
ただし内容的にここに書かれているイメージを拾うならそれは「名誉主義」ということですね。
学者や研究者、道の達人のイメージと言っていいでしょう。
学者というと皆弱いですね。坊さんなんかことにそうです。
秘仏でもなんでも学術調査だと言われるとホイホイ開扉してしまう。
そういうのは宗教的にどうかと思う。
だから何でも自分のいうとおりになると思っている高慢な方もいます。
物欲でなく自分の知恵や技量を誇る世界。これが尼乾道の名に仮に寄せられていると考えるのが正しいでしょう。
物欲や快楽追及、支配欲より高度な世界ですがこれもぢ大乗仏教から見れば目指すところではありません。
この十非心は後に行くほど高度な境涯ですが、実を言えば後に行くほど危険な世界なのです。
それで十分であると自分を誉めてそこに安住してしまうからです。