密教の伝法を受けることは阿闍梨さんの薫陶を受けること。
阿闍梨の三昧耶(教え)を漏れなく自分のもののすること。
昨夜は「三昧耶」についての教えを受けその考えを学ばせていただいた。
もともと三昧耶は平等の意味、仏菩薩や師や祖師と等しくなること。
「三昧耶戒」というがインド密教では三昧耶という言葉はあっても三昧耶戒という言葉はなかったそうだ。
三昧や無くしては密教はありえない。
それはとりもなおさず仏と誓願を等しくすること。
菩提心だ。
「上求菩提下化衆生」の心ないものに法を授けることは即法を殺すことだ。
無間地獄に落ちる罪といえよう。
これにすぎる越三昧耶の罪はない。
そこに三昧耶の働きがないからだ。