金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

定年後の加持祈祷

去年の暮、電話でお勤めの方、老後の仕事として加持祈祷をしたいので・・・というお尋ねがあった。

60歳は届いていないがあと数年、ローンもあるし、子どもさんが生まれた息子さん夫婦にも少し援助してあげたい。嘱託だと大幅に給料減るので・・・という。

 

こういう人って私みたいな年のものがやっているから、自分も、というか、加持祈祷なんて拝むだけだからだれでも簡単にできることと思うんだろね。

私だって20代からしているからこそ、今でもできるんだけど・・・。

だからいいました。

「仏道修行自体はおいくつでも健常者ならできることはありますが、それ無理です。」

 

 「もちろん修行したいんで、それでお世話になりたいんですが」

 

「あなたの言っていることは。私に言わせれば、例えば今から練習して歌手になりたいとか言っているのと同じようなことです。歌の練習はできるし、したらいいでしょう。

でも歌手になれますか?

中にはなれる人もごくごくまれにいるかもしれないけど、それ例外中の例外です。

同じことでしょう。たとえば、お経憶えたらすぐにできるというような仕事ではないですよ。」

 

聞けばずっと印刷業の方だという。それ長いなら活かす道を考えるべきでしょうと言っておいた。

実際、出来上がるまでだってお金がかかりますしね。儲けるどころか老後の持ち出しだ。

お金のことだけ言うのならば何もしないのが一番いい。

 

でも聞けばそこも全然考えていない。

「少ない給与や年金だというならそれを切り崩しての修行になるかも・・・です。

お辞めなさいよ。

どうしたって旅費や宿泊費だけでも相当かかります。

年、数回旅行に普通に行けるくらいでないとね。それが無理な生活状況ならまず、やめておいたほうがいい。ですから、現実問題、生活がやっとこさっとこという人も無理だと思う。

伝教大師は『衣食のなかに道心なし』と言われています。生活を先にたてれば道心はついえます。

でも、あなたにはご家族がいます。

ご家族にそんな思いさせられますか?賛成してくれますか?

時ならぬニワカ道心は古来「不時道心」で「魔事」とされています。」といっておいた。

 

やる気のある若い人なら経済的に応援もしようがあるが、妻子もあれば、孫もあるような人生終盤の方の職業として行を応援しても意味は感じない。

なにせ人の面倒見る立場なのだから。