金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

七歳の女流と言えども  菩提心の話

曹洞宗祖 道元禅師の「修正義」発願利生に

 

或いは天上にもあれ、或いは人間にもあれ、
苦にありというとも楽にありというとも、
早く自未得度先度佗(じみとくどせんどた)の心を発(おこ)すべし。

其(その)形陋(いや)しというも、
此(この)心を発(おこ)せば、
已(すで)に一切衆生の導師なり、
設(たと)い七歳(しちさい)の女流なりとも
即ち四衆(ししゅ)の導師なり、

衆生の慈父(じふ)なり、 とある。

 

 

菩提心の大切さを説いている。

伝教大師の言われた道心もこれである。

道心ある人を西には菩薩と言い、東には君子という。

 

密教の法はいうにおよばず仏教はおよそ菩提心無くしては会得出来ない。

 

「そんな立派な菩提心なんかないよ」と言う人もあるが、これは高きに立って人を救うことではない。

それなら私自身も不適格者だと思う。

 

そうではなく大事なのは「同悲」だ。思いやる心。

自分と他人を分けて考えたら大事なのは自分に決まっている。

それは全然悪くない。当たり前だと思う。

 

だが、そこを分けないのが同悲なのだ。

自分と他を綱引きしない。

立派な人でなくても他を思いやる心はもてる。

 

人や生き物を思いやる心は七歳の女の子でも持てる。

だから大導師となりうる。

同悲のこころこそ菩提の芽である。学問とはまた別だ。

 

 

なぜ七歳なのか。

実は道元の信仰は多分に法華経にある。

大著「正法眼蔵」も実は法華を基盤としているという。

これは提婆達多品の八歳龍女成仏のくだりから書かれたものと思う。趣

八歳龍女は幼い龍の娘、龍は神通力ある霊獣ではあるが動物だ。

動物が八歳で成仏するなら人間善趣なら七歳でもということなのだと思う。

 

道元禅師は菩提心を起すことがそのまま成仏なのだと考えたのだろう。