法を教えて心教えず。
最近は過去を振りかえってみてそうだったのではないかと反省している。
法を教えることは心を教えることに比べれば簡単だ。
心を教えずして法を教えれば世のなかに魔物を送り出すのと変わらない。
自分でもそういう誤りがあったのだと思っている。
一人前の僧侶なら伝授してくれと言われれば伝授しない理由は難しいが、一人間の僧侶だからと言ってもそのこころは様々だ。
信徒や小僧ならまだしも今更、心の問題などいまさらのようにいえないレベルなのが難しい。
故に基本的に特定の紹介者のない伝法はしていない。