もちろん諸仏神のお誓いは深く、まして歓喜天尊は他の諸神に見捨てられたものをも救い、助けずにはおかぬというご誓願であり、これは少しも疑うことはできない。
この深い御心も「苦しい時の神頼み」ではいただくことができないのである。
天尊が下さらぬのではない、私たちにそれをいただく心の準備ができていなければ、お受けするわけにはいかないのである。
故に現世利益の道も立派な仏道である。
「世出世の悉地に差別なし」とある大徳の言葉を伺ったこともある。
祈祷する行者も道、祈願する施主も道。
要はどう歩むかでしかない。
火の出るような修行や学問をしてもただの自己顕示時欲のかたまりの強いロクデナシもいる。
現世利益なんて仏道に関係ない低俗な迷信だとうそぶく僧侶もいるがそう言う人を私は頭から信用しない。
なにもわかってはおらぬ。