信徒というのは相談はするけど祈願について事細かにこういう風にしてああいう風にしてくれということは言わない人。
そこに信仰はない。
そういう人を信徒と思っていない。
本尊を信じていればそんなのはあるわけない。
それは私のマジカルなパワーに期待しているだけ。
だが、そんなものはなんにもない。
商売でも病気でも試験でもなんでも好きに祈願すればいい。
祈祷と言ってもできるのはそこまでだ。
その後は本尊のお思し召しのみ。
何が良くて何が良くないかはすべて仏が知っている。
その心こそが信仰者のものだ。
そういう祈願しかしていない、
そういう祈願しかできない。