暴君と言われるネロは進歩的で民衆を愛する若き皇帝であったようだ。
民衆を愛し、異国であるギリシャではオリンピックに出て民衆に歌を披露して大いに人気を得た。
災害時には宮殿や寺院、自分の私庭まで開放して民の避難場所を確保しようと考えていたという。
だが旧態依然とした元老院はこの型破りの若い皇帝を快く思わず彼の失脚を画策した。
その後の歴史では彼は徹底的に悪しき皇帝として書き替えられたようだ。
特にキリスト教徒の迫害などは神聖ローマ帝国時代に大いに喧伝されただろう。
もしそうなら彼のために2000年もの間の雪辱を晴らしてさしあげたいと思う。
当時のローマも後にキリスト教に毒される神聖ローマ帝国より宗教も言語も自由でよき国であり、一種の経済圏としての役割が大きかったらしい。