金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

まず心で仏を勧請せよ。

最近、霊狐さんから「仏像の開眼を軽く考えてはならない。まず先に仏は心で迎えるものだ。」と言う言葉をいただいた。

そういわれて思い出すことがある。

 

昔、駆け出しの20代の頃、20センチほどの白木の地蔵様を師匠に開眼してもらった。

今もって飯縄山に鎮座している。

その時は十一面供を伝授して頂いた後だったので21座をとりあえずしてお寺に伺ったが

師から「こんなことを言うのは失礼だが、今の段階では地蔵さまはアンタのとこには行きたくないそうだ。行けば大変なことがまっている。だからもう少し修行してもらわねば困るといっている。」といわれた。

一年くらい山へ行ったり色々やって「ウム・・・・まあ、いいだろう」ということでしぶしぶ許可してもらって頂いてきた。

万事がそういう調子であった。

最近は何でも開眼供養すれば本尊が家に来てくれるようにと誤解しているようだ。

だが実際にはそうはいかないのだ。

縁が整わないのに力ある仏像を無理やり祀りこんで、かえって災いに見舞われることもある。

今度は○○祀りたいので開眼してとか軽々と言うががそういうものではない。

たとえばなかなか縁談がととのわないからと言ってその目的で何百万円もかけて素晴らしい愛染明王像を作っても結果はそういうこととは全く結びつかない。

夢を壊すようで悪いがそういうものだ。

 

これからそこは歯止めをかけていこうと思っている。

なかには仏さまをフィギアか何かのように勘違いしている人もいる。

本尊の分霊を出すなら10年は拝まねばいけないとも言われてきた。

 

最近はそういうところは軽い行者が多すぎる気がする。

商業ベース的に考えているのだろうか。

 

 

食いしん坊兄弟

日曜日はうれしい猫缶の日

皆さんあらかた食べて引き上げましたが・・・若いラムネ モモタロウ兄弟は食い意地はってますね。最後の最後まで食べます。

 しっかり食べて強くなれ!

なんかモモタロウ グレムリンのギズモみたいになってきた。(笑)

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不動尊のありがたさ

コロナのご祈祷。なってしまった方は今まで青面金剛供で祈っています。

普段の祈願は青面金剛供まではほとんど拝まない。

骨蒸病と言って昔で言う肺炎の特効薬的祈祷とされています。

我が智証大師は特に力入れられ三井の秘法のひとつともいう。

さすがに効験は強い。

今まで三例祈っていずれも事なきを得た。

ちょこっと秘密ですが青面金剛さまだけでなく不動様祈るのが大事なんです。

青面金剛だけだと連日38度あった熱が下がり過ぎて34度台になったり極端なことも起こる。

 

威力強すぎるんでしょうね。青面様は。

もともと夜叉の王ですしね。

行者はこころして慎み拝むべき尊です。

青面金剛 聖天様と同じで行者と相性みたいなものはある。

 

そこでは不動明王は緩和する役目。

ほかにも聖天様の祈祷でもお不動様は裏方に回ればそういう役割もなさる。

 

すべての 密教行者にとって祈りの父とも頼むべきはお不動さんです。

祈願で行き詰まったらプラスお不動さんといってもいい。

うちでは加行や前行の一落叉で正直言って辟易するほどお不動様拝ませるけど

不動様は基本でしっかり拝んでおくこと大事です。

三落叉と言って30万遍以上の御真言は通算で拝んでもらう。

でもね。

そのあとで、何様を拝もうがそれはどこまでも活きてくるんです。

大事です。

 

 

 ※白戸師匠に開眼して頂いて私が40年近く拝んでいるお不動様です。

仏像としてはあえて自慢するほどの作ではないが、師匠の開眼もあり深い愛着があり拝んでいます。

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東寺、伏見稲荷参拝 ⑦  善龍庵

 


二ノ峰は青木大神 御本地は千手観音

仏頂尊勝陀羅尼と千手観音真言を唱えて報恩謝徳のご供養をしました。


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こちらのお茶屋さんには大きな番犬が!

でもとても人が大好きです。りりこちゃんです。


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ここからさらに下り三の峰に向かう途中に伊勢大神、荷田社があります。


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荷田社は弘法大師と縁が深い荷田氏に関わりのある神様です。

こちらでも仏頂尊勝陀羅尼と諸神の本地である愛染明王真言を唱えて報恩謝徳のご供養をしました。

 

続く

さまざまな陀羅尼会  善龍庵

 


年中行事 | 高野山真言宗 総本山金剛峯寺

上記サイトから引用

准胝堂陀羅尼会

7月1日 午後1時 伽藍准胝堂

この法会は、明算大徳(1021年~1106年)のときに始められたと伝えられています。御影堂横にあります「准胝堂」にて「尊勝陀羅尼」をお唱えし、日々の罪過を懺悔します。

 

 

 


真言宗豊山派 豊山派の年中行事

上記サイトから引用

陀羅尼会(だらにえ)
 真言宗の中興の祖興教大師(こうぎょうだいし)さまは、康治2年(1143)12月12日にご入寂されました、その祥月命日に修されるのが、陀羅尼会法要です。
 この法要は、興教大師さまの教えに感謝するため、「論議(ろんぎ)」をおつとめした後、「仏頂尊勝陀羅尼」を読誦するところから、陀羅尼会といいます。

 

 

浅草寺の温坐秘法陀羅尼会

https://www.senso-ji.jp/annual_event/04.html

 


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自己価値の話

自己価値は多分に人の賞賛や評価によります。

それは基本的に間違いではない。

われわれ人間はコロニー(社会)を作る動物なのでそのように出来ているわけです。

つまり自分以外の人からの評価をもらって自分を測っている。

評価がもらえなかったり、強烈なマイナス評価を受けると自己価値も低減する。

酷いことを言われて自殺したりもします。

ネットで誹謗中傷を受けて自殺した木村花さんもそうですね。お気の毒です。

 

でもいくら自己価値が下がっても、本当に価値があるか否かを見極めるのは自分です。

さきほどもいったように私たちは集団で生きる動物。

「人間」も「人」の「あいだ」と書いて人間ですから、人は社会に生きなければ、例えば絶海の孤島に一人で生きていてもそれは本来の生き方ではないわけです。 

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でもそんな状態だったらその生命自体にも価値がないかと言うとそこは全く違う。

 

そこはもう価値も評価も関係ないのです。

このレベルは路傍の草も昆虫も犬も猫もスズメも全く同じレベルで「生きている」ということに価値の根本がある。

 

誤解してはなりません。いっておきますがこれは権利でも義務でもない。

「権利」や「義務」は社会があるからはじめて云々するもの。

そんなものはここではもう全く関係ないんです。

 

存在するということからすべてが始まっているということです。

「自分なんていなくてもいい」とか「わたしの代わりなんかいくらでもいる」という思い。

そうですね。そうかもしれない。

でも評価だけで私たちが生きているわけではない。たとえそうでもそこを忘れてはいけない。

人のためや社会のためだけに生きてるわけじゃない。

 

自己価値だけで、たったひとりで戦わなきゃいけない時もある。

そんな時、人の評価なんかを糧にして戦えるもんですか。

 

人生には「他人がどう思おうとしったこっちゃない!」が必要な場面は必ずある。

それは動物としての自分を発揮すべき時です。

 

動物は人間位比べればはるかに評価のない世界に生きている。

人間の飼っている犬でも褒められればうれしい。叱られたら悲しい。

でも悲しくても自殺はしない。犬は犬自らがまずなにより大事だと知っているからです。

それは社会の評価とは別な意味で必要であり、同じくらい大事です。

 

だから孤独は大事です。

全く孤独になって心を絶海の孤島や人知れぬ荒野 あるいは人類の発生以前の動物しかいない先史時代においてみる。

そういう練習もしてみたらいいのです。

 

 

 

 

 

 

5月滅罪会の感想その29 善龍庵

 

大森先生

 

 2回目の滅罪会に参加させていただきました○○○○です。

御礼が遅れて申し訳ありません。

 

無事に3日間の修行を終えました。

感情を抑え慣れているので、沸きあがりそうな感情を止めていました。

懺悔がしきれていないような、表面だけの言葉を並べ立てているような自分を感じました。

それでも准胝観音様はすべてお見通しなのだと、このような懺悔でも

受け止めていただけていると信じて修行させていただきました。

修行の道は、まだまだこれからだと痛感しました。

 それでも有難いことに、懺悔の対象の人たちとの距離が縮まるような体感と実感が

ありました。本当に有難いことです。

 3回目の滅罪会まで日があるので、もう少し続けさせていただこうと思っています。

 

 このような修行の機会をいただき、本当に感謝しています。

 一人で真言・経文を唱えていただけの日々より、真摯にお勤めができている気がします。

 大森先生という師と、同じ修行者の皆様のおかげですね。

 尊いご縁を与えていただき、感謝申し上げます。

 今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

 


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この印は、施無畏印(せむいのいん)と言います。

怖がらなくてもいいよ恐れなくてもいいよと仏様は私達に伝えています。

仏様は目には見えませんが、私たちの背中をそっと支え受け止めてくれている、そのやさしい手かもしれませんね。