自己価値は多分に人の賞賛や評価によります。
それは基本的に間違いではない。
われわれ人間はコロニー(社会)を作る動物なのでそのように出来ているわけです。
つまり自分以外の人からの評価をもらって自分を測っている。
評価がもらえなかったり、強烈なマイナス評価を受けると自己価値も低減する。
酷いことを言われて自殺したりもします。
ネットで誹謗中傷を受けて自殺した木村花さんもそうですね。お気の毒です。
でもいくら自己価値が下がっても、本当に価値があるか否かを見極めるのは自分です。
さきほどもいったように私たちは集団で生きる動物。
「人間」も「人」の「あいだ」と書いて人間ですから、人は社会に生きなければ、例えば絶海の孤島に一人で生きていてもそれは本来の生き方ではないわけです。
でもそんな状態だったらその生命自体にも価値がないかと言うとそこは全く違う。
そこはもう価値も評価も関係ないのです。
このレベルは路傍の草も昆虫も犬も猫もスズメも全く同じレベルで「生きている」ということに価値の根本がある。
誤解してはなりません。いっておきますがこれは権利でも義務でもない。
「権利」や「義務」は社会があるからはじめて云々するもの。
そんなものはここではもう全く関係ないんです。
存在するということからすべてが始まっているということです。
「自分なんていなくてもいい」とか「わたしの代わりなんかいくらでもいる」という思い。
そうですね。そうかもしれない。
でも評価だけで私たちが生きているわけではない。たとえそうでもそこを忘れてはいけない。
人のためや社会のためだけに生きてるわけじゃない。
自己価値だけで、たったひとりで戦わなきゃいけない時もある。
そんな時、人の評価なんかを糧にして戦えるもんですか。
人生には「他人がどう思おうとしったこっちゃない!」が必要な場面は必ずある。
それは動物としての自分を発揮すべき時です。
動物は人間位比べればはるかに評価のない世界に生きている。
人間の飼っている犬でも褒められればうれしい。叱られたら悲しい。
でも悲しくても自殺はしない。犬は犬自らがまずなにより大事だと知っているからです。
それは社会の評価とは別な意味で必要であり、同じくらい大事です。
だから孤独は大事です。
全く孤独になって心を絶海の孤島や人知れぬ荒野 あるいは人類の発生以前の動物しかいない先史時代においてみる。
そういう練習もしてみたらいいのです。