今朝も明け方に風狐さんがみえた。
せっかくなので聞いてみた。
「自殺者の死後は地獄に行くとも言いますがどのようでしょうか?ある意味この世の執着はないのですが地獄に行きますか?」
「皆一様ではないが、絶望の故に自殺するのは執着がないのではない。間違ってはならぬ。
死ぬ以外ないという執着の極みだ。自己否定という執着の極み。
先のない心故そこで想念は固定化するのだ。
地獄というのは鬼がいて責めるのではない。われとわが心にて自らの自己否定を繰り返すのが地獄だ。先がない故に何度でも繰り返す。
故に鬼も血の池も針の山もその表現である。
外に出会えるものはいない。
地蔵薩埵のみがよくその心識の海を行き、機縁に至るものを救いあげるのだ。」
「地獄へ導く閻魔天とは?」
「閻魔は人間の持つ善悪を裁く心だ。これを外に置けば閻魔となる。
閻魔はおのが欲により人を傷つけるにしたがって自らの罪を重しとする心の働き。
これは動物や鳥などにはない。だから彼らは地獄に行かぬ。」
「では人間の方が大変ですか?」
「そうではない。鳥や獣の世界はそれ自体が地獄のようなものだ。ほかに彼らの地獄はない。狩りたてられ、生きたまま皮を剥がれ、煮られる。親も子も引き離されて殺されていく。実有の地獄だ。」
「自殺者はどう供養すれば浮かばれますか?」
「自殺者は可哀そうだ、気の毒だ、哀れだという憐憫の心より、
もう大丈夫だ。もう苦しむ必要はないのだ
という心で供養することがよいのだ。みずからの心を如来の光で満たし分かち与えるのじゃ。光明真言にせよ、随求陀羅尼にせよ、自らのこころ先ず光にみたされねば亡者にはとどかぬぞ。」