難儀には必ず学びがある。
難儀には必ず学びがある。
難儀がなければ学びはない。
難儀にあったらそれをよくよく研究すべきだ。
なら学びなどなくて難儀もない方がよいと思うかもしれない。
多くの人がもそう思うだろう。
だが世の中はそういうふうになってはいない。
難儀は世の常。
難儀の世の中だ。
だが学びをえないと何度でも同じ難儀にあう。
学ぶことによって難儀は減る。
難儀から離れたくば学ぶことだ。
敵と戦わずして強くはならない。
だが敵から学び、強くなれば敵は減る。
戦いから学ばないものは早晩倒される。
同じことだ。
だから常に忘れてならないのは学びと工夫だ。
余りにお粗末
野党側に立ちたくないが、あまりにお粗末。
もう解散して総選挙したらどう?
統一教会のこともあってボロ負けするだろうがそういうことは必要だと思う。
政権政党という驕りはもはや邪魔だ。
平和な世の中ならいざすらず、この国難に岸田さんじゃ無理だわ。
望まないことの楽 かなわないことの楽
丹精込めたことや気に言っているものや期待していることがダメになったりすると・・・ガッカリする。
それは当然だがよくよく自分の気持ちを観察すると失望と同時に変な話だが楽にもなる。
もう期待したり望んだりしないですむことは一面とても楽なことなのだと感じる。
望むことがなにもなくなるということも一つの楽であることは確かだ。
仏教の三昧の一つに無願三昧がある。もう何も望まないでいい楽。
何一つ期待することをしないでいい楽。
逆に言えば望みや欲望が沢山あったりすることはなにかと大変だ。
物事をあきらめずにあくまで求めつづけることは大きな苦と言えよう。
あきらめるとはその是非を明らかにすることでもある。
そういうことかもしれない。