金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

人生はあみだくじ

人生は「あみだくじ」だ。

一本加えて一生が台無しもあれば、一本加えてポーンと助かることもある。

その一本とは私たちの言動だ。

よくよく考えて一本いれられたい。

その一本が人生の行く末を決めるかもしれないから。

守護霊の話

守護霊が誰かわからないのでみて欲しいと言われることがありますがそういったことはわかりません。

時々ブログ記事では霊的なメッセージをするような場面もありますが、それは霊狐あたりが必要と判断した場合だけで、普通はほとんどはそういったことはないんです。

私自身に霊能はないので「あずさ」のような背後霊の力がなければなにもわかりません。

 

強いて言えば相手が霊的に強い方だと私はそれに呼応する体質?のようです。

だから来られた方がご自分で霊的な人間なのだと思っていてもなんの反応もない方は実はそうではないとしか私には思えません。

有り体に言ってただの思い込みだとしか思わない。

守護霊だって誰にでもある訳じゃない。

でも特別霊的でなくても先祖供養等よくする人には御先祖の守りがあることは感じる。それも守りがあるという意味で立派な守護霊といえましょう。

時に先祖や亡き親御さんの供養を一切しない方は祈祷しても空しい感じさえします。

そういった方には祈祷には熱心な人もいますが所詮恩ということを思わない方であると本尊にもわかるのかも知れません。無反応なことも多い。

特別なことはしないでも彼岸や盆のお参りや年忌法要などしているかいなかは大事です。

肉親でも亡くなった親などと不仲で供養したくないという方もいます。

そういう方もあるでしょう。

それは個人の自由ですが自分たちがよくなりたいならよくよく考えるべきことと思います。

 

私もそうだとは思うが・・・

news.yahoo.co.jp

 名古屋市の河村たかし市長は22日、市が条例で定めた「なごや平和の日」の意義を問われ、「(戦争で)死んでいった人たちに思いを寄せないといけない」と述べたうえで、「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」と発言した。

 

 

私もそうだとは思うが、美徳なるがゆえにそれは決して強要されてはならない。

なんであれ、強要されるものは美徳でない。

四川省成都より道館の主 来る

今日は中国は四川省成都にある道仏習合のお寺の方が見えました。

道教の寺は道館といいます。

斗母をお祀りしているそうです。道教では摩利支天に近い神様です。

 


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ほかに薬師如来や大黒天も。

道教ですが密教も関心あって日本で修行され、灌頂もうけられた由。

やはり拝んでいる方というのは私の話をよく理解してくださる。

多くの点で共通を見ました。

この方はなるべくして道士になった方のようにお見受けしました。

前世でも修行しておられたのかもしれません。

女性ですが自分が経営していた会社をきっぱり手放してこの道に入られた方です。

こういう決然たる女行者に合うのは久しぶりだ。

なかなかいないね。

行者は男女問わず、ある意味、「孤独の必要性」を理解していないと難しい。

修行したいという女性は多いけど、こころのなかにはどこまでも人との絆を欲する心が見える。

でも修行はいくら励もうがその淋しさや人恋しさの代用にはならないですよ。

究極はその本尊と我しかない世界にいなくてはダメです。

でもほとんど、そこまで思い切れない。

思いきれなくても全然いいのです。それが普通の血の通った人間ですからね。

・・・だがその普通の心ではギリギリ及ばぬ世界がある。

そこまで行くのかどうか、それだけの話。

 

守護神の斗母元君がはっきりしていますから何を学んでもいずれそこに立ち還るのだと思います。

最後に孔雀明王の話になりましたが私が孔雀明王についての独自の見解を話しましたが、それも私もそのように思っているとのことでした。

中国の人はなぜか孔雀明王が好きですね。前にも孔雀法で祈祷してと言われました。

その時は祈り馴れない法で祈ってもおぼつかないので、十一面様で祈りましたが・・・

お土産に素晴らしい作家の作られた銅香炉を頂戴いたしまいした。