多くの人は目的をもって信仰する。家内安全、病気平癒、商売繁盛、などなどだ。
それも結構だ。
だが、本当の信仰の目的は「信仰そのもの」だ。
このことがわからないなら本当の意味は何もない。
仏教の信仰は偉大な神様がいるから崇めないとダメとかいうものではない。
若い頃クリスチャンの方からの布教に遭い、「仏像を祀るような偶像崇拝はゆるされません」といわれた。
だが、仏教では誰が許すも許さぬもない。
そんな裁く存在はいない。
天地は我々個々の所業にただ、変わらずに黙してあるだけの存在。
仏教は自分の為の信仰であり、仏様のためではない。
信仰や仏教の学びから培われるものが最大の御利益なのだ。
崇め奉れば仏様が気分をよくして「よしよし、お前はいい奴だ」と助けてくれるというものではない。
大きい祈祷をしようが寄付を沢山しようがそこは仏は預かりしらない。
そこは仏は見ていない。
ただ仏と繋がる手段でしかない。
いくら金をかけてもそれだけではつながらぬものは繋がらない。
つながるものは心ひとつで繋がる
現世利益には仏教の宣伝部隊である護法善神が相応に動いてくれるが、究極を言うなら学びのないとろに本当は何も救いはない。
そこを理解しない方が当院を訪れても意味は薄い。