猫の大首妖怪ではありません。クロベエさんです。ほかに言うべき言葉もございません。
クマジと比べてみると妖怪度抜群!まあ、でもそれがクロベエの良さだと思う。
猫の大首妖怪ではありません。クロベエさんです。ほかに言うべき言葉もございません。
クマジと比べてみると妖怪度抜群!まあ、でもそれがクロベエの良さだと思う。
人間さえ快適ならいいのだろうか?私は間違っていると思う。
動物も植物も人間もお互い様だろうに。
鳩の糞がかかろうが大してこういう人間の自己中心的な考えに私は憎悪すら覚える。
やはり前世は何か動物だったのだろうかとさえ思う。
だが、このやりくちは人間にとっても大事なものを殺すと思うのだが。
餌をやる場を郊外に作ればいい。
一国の国力云々という目から離れて大きな見方をすれば、人口減は人類にとって長い目で見れば大事なことだ。
このまま人間が増え続ければ地球の資源は枯渇する。すでに八十億近くいるだろう。
ついこの間まで66億と言っていたのだ。
これ以上増えていいわけない。
過渡期には高齢者ばかりで苦労するがそれが過ぎれば落ち着くだろうし。
余りに増えたものは今度は自然が調整しにかかるだろう。
この参考文献の口訣のもとは「渓嵐拾葉集」にありますね。
以下の本は研究書ですので記載がそのまま載っているのではないと思いますが、知りたければ大正新修大蔵経の七十六巻にあります。
香合仏の開眼もあり、八大竜王への供養を始めた田阪師、朝も便も祈れれば祈り、なるべく多く祈りたい意向とか。
修法には修法の独特の趣きというものがある。
それを早く体得せねば祈祷にはならない。
それがいわゆる加行だが実際このレベルになると何座という決まりはない。
納得するまで何十坐でも何百坐でもしたらいい。
彼はそれを早くつかみたいのだろう。
それがあるということを知っているだけでも全く違う。
だからこのレベルでは何座やったらいいですかなどと言う質問は出ないのが本当だ。
ある程度、納得するまでやればいい。
ある程度というのはどこまで言ってもある程度だ。これも大事だ。
そうでないと至らざるに至れりと勘違いするバカな行者となる。
かくいう私も「ある程度行者」でしかない。
彼は既に弁才天一印法は毎日修して久しい。この法は八大龍王の印も出てくる法だ 。
うまくすれば祈りの勘をつかめるのもそう遠くはないだろう。
福猫 第四陣、喜び勇んで皆さまのもとにまっしぐらに帰っていきました。