香合仏の開眼もあり、八大竜王への供養を始めた田阪師、朝も便も祈れれば祈り、なるべく多く祈りたい意向とか。
修法には修法の独特の趣きというものがある。
それを早く体得せねば祈祷にはならない。
それがいわゆる加行だが実際このレベルになると何座という決まりはない。
納得するまで何十坐でも何百坐でもしたらいい。
彼はそれを早くつかみたいのだろう。
それがあるということを知っているだけでも全く違う。
だからこのレベルでは何座やったらいいですかなどと言う質問は出ないのが本当だ。
ある程度、納得するまでやればいい。
ある程度というのはどこまで言ってもある程度だ。これも大事だ。
そうでないと至らざるに至れりと勘違いするバカな行者となる。
かくいう私も「ある程度行者」でしかない。
彼は既に弁才天一印法は毎日修して久しい。この法は八大龍王の印も出てくる法だ 。
うまくすれば祈りの勘をつかめるのもそう遠くはないだろう。