昨日のゲシュタルトアプローチでいいっしょにワークしていただいた人。
講員さんなのだが・・・
このひととワークで語ったこと。
その内容はともかく、そのなかの流れで仏様についての話が出た。
「仏様は私を見ていてくれる」
この安心感があるという。「仏所護念」の想いだ。
人生には常に問題がある。 .問題や悩みののない時などない。
だから問題があるから安心ではないは信仰ではない。
問題だらけの時、祈願して欲しいなら私は仏所護念の祈願をすすめる。
とりあえず問題がなにもない時もそうだ。
そう、これが信仰の本質だと思う。
この人は大事なところはブレていないなと思った。
何があってもこの心を失わずに生きていくことが信仰なのだと思う。
仏様の掌の上に載っている。
安心のないものは信仰になっていない。
役に立たぬ。