私は今新たなる竜王信仰の時代の入口にあると思っている。
世間でこのところ出ている龍のスピリチュアルな本はほとんど願望達成に龍というものを役立てようという趣旨が多いように感じる。
イメージとしての龍や理想や夢の具象化としてのドラゴンもいいだろうが、私の今いう龍とは明確に違う。
自然霊であり大自然のなかの大神霊としての龍。
それは天地の動きそのもの、そこにアクセスするための竜王信仰。人がミライを生きるための信仰。
金儲けや便利さのために自然に甘えいくらでも搾取するって信仰はやめなくてはダメだ。
私たちはあまりに人間社会的な欲求でしか信仰をしてこなかったのではないか?
太古の信仰はそうではない。まず天地自然に絶大な畏敬の念があった。
例えば広大なアマゾンの密林を切り開き、焼き払い、畑やユーカリの林に変えたり、南海の豊かな自然を潰してリゾート開発などはもってのほかだ。
それらの成功はむしろ竜王たちの極めて嫌い憎むところである。
祈願しても加護等あり得ない。
自然の支持を得られないことはもはやしないのが私のいう竜王信仰だ。
そしてそれは最も大事な信仰だ。
以前紹介した天龍院の堂守をされていた谷坂媼の「聖天さんは家、八大さんは土台 土台忘れたら家は長続きしない」の理由はこれだと思う。
いずれの尊を信仰して根底的に必要な信仰と思う。