今日11月3日の大森先生の豪潮さんが母の死を嘆きすぎてかえって成仏の妨げになっていた話にかんがみて思うこと。
この間、ずっと置いてあった猫のお骨を埋めました。ニコ太のお骨。
仔猫で風邪で死んじゃって可哀そうで・・忙しいこともあって「まだ、いいか・・・」が本当はお盆に庭に埋めるはずがお彼岸すぎになってしまいました。・
でも埋めたらなんかすっきりした。
お骨を葬ることは自分が持っている罪悪感(もっとこうすればよかったとか・・・たらないことあがったのではとか)そういうことも葬ってくれるんだなあと思った。
ニコ太もすっきりお別れしていべきところに行けるのを感じる。
忘れたらかわいそうだからとワンコのお骨をペンダントとにしてる人もいたけど私はそういうのはあまりおすすめできないなあ。
終わったものを終わらせないというのは自分の気持ちだけかも。
本当にかわいそうで慰めたいなのはわんこやニャンコ以上に自分の心なんだね。
たぶん。
でもそれは自己本位というものかもしれませんよ。
ポチたま霊園さんの感謝費
亡き人は遠くにありて想うもの