金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

諦めは言葉の帝と書く

人として成熟しているか否かの決め手の一つ。

それは「人生には仕方ないことがある」ということの理解だ。

そういう人は静かな目をしている。

何でも思うままになるなどと言うのは幻想だと思う。

それじゃ諦めじゃないか!負け犬じゃないか‼というなかれ。

熟慮したうえで至る「あきらめ」は尊いことだ。

諦めには真理の意味がある。すなわち明らめるは明らかにする意味である。

 

「言葉の帝」と書いてあきらめと読む。