金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

お葬式の意味は

最近お葬式の話よく出る。私は基本的にお葬式しないのですけどね。聖天行者なので。

「お葬式、○○宗で得度だけしているんですが、自分で拝むだけじゃダメですか?」と聞かれました。

こんな質問をするのは新発心(成り立てほやほやのお坊さん・シンボッチと読む)しかいないでしょう。

それはしないよりはずっといいが…仏教の常識から言えばそれだけでは不足です。

宗派にもよりますが、お葬式には天台では個人の「お得度」の意味があります。

故人に対する其の儀式がお葬式なのです。

仏弟子にする意味ですから師匠になれる人ならいいのですが・・・新発心では無理でしょう。

もう一つの大きな意味は故人のためにお布施をして仏教に寄付すること。つまり故人の善根功徳のためです。昔から「布施なき経は読むなかれ」と言います。

ですから自分でなく他所のお寺に布施することに意味があります。

そこの節約は何の意味もありません。

お葬式をタダでしてもらった得だなどと考えている方もいるようですが・・・

実際の葬儀の意味がないですね。

それはケチなことを言うのでなく故人がお徳が積めるようにするためなのです。

お経の功徳を受け取れないのでは意味ないですから。

 

授戒した方や得度した方は実質葬式に当たることはもうもう終わっています。

拙寺では在家の五戒を全員に授けています。たとえ遺族がなく葬式がなくても大丈夫です。しかもお葬式より価格的には安いです(笑)

その意味でもお授戒をしております。

 

まあ、現在うちの門下で葬式する人は誰一人いなくなりました。

 

上願寺が聖天様始めたので。

古くは園城寺は全山祈願寺で葬儀はしませんでした。なので昔は園城寺でお坊さんが亡くなったら西教寺様(天台真盛宗総本山)で拝んでもらっていたそうです。

まあ、葬式は誰かするひとにいてもらわないと不便は不便です。