金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

捨てられた豚ちゃん

grapee.jp

「アメリカのカリフォルニア州に、『リジェクト・ランチ』という非営利の家畜の保護施設があります。

 

ある日、『リジェクト・ランチ』に「高速道路の近くにブタがいる」という通報が入りました。

連絡をしてきた人によると、ブタは少なくとも12日間この場所にいたのだとか。

「偶然通りかかってブタを見つけた」というその親切な人が、毎日水と食べ物をあげに来ていたといいます。

『リジェクト・ランチ』のスタッフが現場に駆けつけると、1匹のオスのブタがしっぽを振って嬉しそうに近寄って来ました。

スタッフの女性はブタを食べ物で誘導して、保護することに成功しました。

ブタは明らかに人に慣れているため、飼い主がこの場所に捨てたと思われるそう。

理由は「ミニブタだと思ったら予想以上に大きくなったから」だと推測されるといいます。

そこは見渡す限り、住宅も店も何もない場所。さらに、すぐ近くにはたくさんの車が行き交う高速道路があり、とても危険です。

動画を見た人たちからは、ブタを捨てた人への怒りと悲しみの声が上がりました。」

・どうしてこんなことをする人がいるのか理解できない。ブタはとても感情的で賢いんだ。

・こんなふうに捨てる前に、ほかの選択肢を探せたはずなのに。そういう人はもう二度とペットを飼わないでほしい!

・しっぽを振っているのが泣ける。このかわいい子を助けてくれてありがとう。

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ミニブタという名称が誤解を呼びます。少し小型の豚くらいに思うべきです。

そして豚はものすごい力を発揮します。何でも食べます。

生きている小動物も食べます。

犬や猫のような感覚では飼うのは不可能です。

情報過多の時代に

ツイッターしてないんですか?フェイスブックはしていないのですか?

ときかれるが・・・

ツイッターはアカウントのみ持っているがしない。

それも使わないから忘れて憶えていない。

ツイッター Xを使わないとモノを買いたくても店舗の状況や在庫がわからないものもある・・・だが、そこはわからないでよい。

 

フェイスブックは一々人との応対が面倒なので辞めた。

そんなもの一々している暇はない。

やめて清々している。

そんなところで承認欲求を大事にしても意味を感じない。

だから再度する予定はない。

他も一切しない。

 

情報過多の時代にSNSをしないという選択肢を選んでいる。

全然困らない。

むしろ消極的ながら情報選択になっていると思っている。

そこそこ忙しい事業家の方でモバイルフォンをあえて持たない人の話を聞いたことがある。その時はなぜ?と思った。

側近の人が持っているだけ。

意外な感じがするが、考えてみれば忙しい人だからこそ、そういうのもありだろう。

必要ない情報は側近の人でシャットアウトになるのだろう。

 

こっちから探すのではなく、来るべきものを待つ構えだ。

 

ある千僧供養のお話

今日お聞きしたあるお坊様のおじいさまの行った千僧供養の話。

実際に千人を何回かにわけて供養された。

これは大変な善行です。なかなかできることではない。

 

そうしたら夢に絶世の美女が出てきて山の上にいてこちらに来る。

誰だろうと思えばよく見たらその方は下半身が蛇体だったそうです。

怖くて怖くて逃げまくったが追いつかれてしまった。

そうしたら下半身は蛇体でなくオビのようになって変化して、近寄ってむぎゅッと抱きしめてくださった。

おそらく深く信仰をしていた弁天様かな…というお話・

いいお話です。

やはり護法天尊は善行を深く愛されるのですね。

 

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つい出たというのは本音だから

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「 当日に公開されたYouTubeの演説動画を確認すると、乙武氏の話が聞きづらくなるほどの音量でヤジが飛び交っている。途中、司会者が「演説を妨害される方には退場していただく場合があります」と通告する場面もあった。  乙武氏はヤジに特段反応することもなく、話を進めていた。その後、玉木氏、大久保氏の応援演説が終わり、再び乙武氏が話し始めてしばらく経ったとき、問題発言が飛び出した。  いつまでもやまないヤジに対し、乙武氏は「僕はこういう対決はしたくない。もちろん批判は大事。でも、批判のやり方ってものがあると思うし、対話が必要と思うし」と返す。  そして、声のトーンを上げ、「いまは私たちがこの場をお借りして、集まってくださったみなさんにメッセージを届けている時間帯なんです。(拍手が起こる)そこはご理解していただきたい」と嘆願。それでも止まらないヤジに対し、乙武氏はこう力説した。 「私は先ほどもお伝えしたとおり、政治にチャレンジすることをすごく迷いました。勇気もいりました。決断をしたのは、やはり政治の力を必要としている人がいる。そう思っているからです。みなさんは政治をあきらめてしまっていますか。もう、政治にはうんざりですか。 (ヤジを続ける人の方向を右手で示しながら)こういう人がいるから、もう政治には関わりたくない。そう思いますか。気持ちはわかる。だけど、私はあきらめたくない。やっぱり政治の力を必要としている人が多くいるからです」  この「こういう人」発言が、いまSNSで集中砲火を浴びている。Xをみれば、 《乙武さん、言っちゃいけないことを言っちまったな。」

 

私はこの選挙には地域の上で関係ないし、別に乙武さんに好意的な思いはない。

肉体的なハンディをものともしない大変な努力家だが。そこは尊敬するというかまったく敬服する。だが、信頼できる誠実な人とまでは感じない。

人は頑張りすぎるとその過程で大切な感情を無視しがちだ。

これは大事なことだ。なにごとも「そんなものくらい」になる。

 

でも、つい出たというのは乙武さんの本音だからでしょう。

確かに人がしゃべっているのにぎゃあぎゃあ野次をいうのはみっともない行為と感じます。聞きたい人もいるのにね。

国会でもそうですね。猿みたい。と言っては猿に悪いか。

ああいうの見ると私も「こういう人たち」と思わなくもない。

人の話を聞くのは民主主義の根幹だ。

 

ただ、有権者がどういう結論を出すか。

結果があるのだから、なにも大騒ぎしなくてもいいように思う。

なにもかもはじめから

出入りの海水魚業者さんにスッポン君の水槽新しくし広くてもらいました。悠々です。

よく聞かれますがこのスッポンはハコスッポンと言って攻撃性はほとんどない。

触ればかまないで逃げますけど…さわらないでね。

海水魚の生き残り組がお店からわずかながら帰ってきました。

何もかもはじめからです。

 

残虐となにを言うのだろうか?

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基本的には法律では45日以内に執行ということになっているように思う。

だから死刑囚は一応にその覚悟はもっているべきではないのか。

 

絞首刑が残虐だというのはなんでだろうか。

残虐とは一体何だろうかが論じられないとわからない。

死刑自体は極刑なのだから、それを残虐と言えば始まらない。

「お前は生きていてはならない」と言う処置なのだから。

人を殺さずに死刑にはならない。(刑法では殺人のほかも外国の侵略の手引きも死刑になるが)

それも酷い殺し方や無差別に大勢殺した場合になるのだ。

それなのに安楽に眠るようにニッコリ微笑んで楽々にゆくのは矛盾に想う。

 

死刑囚は教誨師もおり、色々こころのケアがなされる。

日常的に看守から「この人殺しめ!」などと罵られることもないだろう。

 

一方、そういう意味では被害者遺族は放って置かれ、様々な世間の耳目にさらされて生きていかなければならない。こころない誹謗中傷さえ言われて苦しみ続ける。

 

有り態に言えば死刑は苦しむべきで、ある程度、苦しみと後悔のうちに死んで行くべきだと私は思う。

非人道的と思うかもしれないが、彼らが安楽に死んで行けるほうが非人道的というのが私の考えだ。

罰として殺されるのに尊厳死などの対象外だ。

ただ認められば日時を定めた自害はあってよいかな。

それなら多少安楽でもいいだろう。それはなんにもいならないが一つの責任の取り方と思う。

ただ死刑になるよりは意味がある。

人間でなく食用の動物かなにかなら罪はないから安楽が当然と思うが。

だから私は死刑それ自体は反対する気はない。

 

本人の苦痛が少ない方法というなら、見た目は壮絶だがギロチンや打ち首の苦痛は絞首刑よりは少ないように思う。

もともとギロチンは身分のある人間が処刑で苦しまぬよう出来たものという。

 

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正しい判断です!