この方は戯れに巷で手かざしの宗教から施術をしてもらってその時より霊が発動しておさまらない。
どうしてもだめなので翌日来なさい。偉い人が来るからというのでまたいったそうです。
それで、そこの宗教の偉い人がやったけれども、やはりどうにもできないでしまいにもう「これで収まりました」と言い切って放置された。
それでも耳元でずっと声が響いてくる。
その声は真田家がどうだの、なんだのという。もうここでは無理だ。
それでほうぼうのお坊さん、宗教者を遍歴してなんとかしようと必死でした。仕事も満足にしていられない。
でも有名なお坊さんにあっても精神病院に行けと言われるくらいだったという。
まあ、一般論としては正解ですね。
それで最後に大福生寺に縁あってやってきた。
すぐにはどうにもならないけど、お加持を受けたり何か思うことがあったらしく。大福生寺の境内地を通って100日掃き掃除しました。
そうしたら最後の日に手が高々あがって降霊が起きた。
白戸師匠ははじめ経験上、不動明王が降臨したと思ったそうです。
しかしそうではありませんでした。
彼女に降りてきたのは勝軍地蔵菩薩。
馬頭観音の降臨するNさんもそうですが、Kさんも戦国時代の因縁をひく人でした。
私も戦国時代の因縁といえばそうで、高橋鑑種さんという大友宗麟配下の九州の武将の血筋です。
私の爺様は55代目と言っていました。
高橋家には後に立花家から紹運さんという猛将が養子にきますが、鑑種さんはその前の人で大友氏がキリシタン優遇なのが気に入らず宝満山の修験衆徒や、大宰府の天満宮とともに謀反し武装蜂起しますが失敗して小倉に流されます。
高橋氏自体は一万田氏以来の名家だというのでとりつぶさず、結局紹運さんが跡継ぎに来るのです。
このKさんに下りた勝軍地蔵も宝珠院というところで拝まれていた仏さまでやはり中村公という戦国武将の守護神です。
Kさんはいわゆる慶応ガール、優秀な事務方のОLさんでしたが信仰心というものは全然無かった。
当時はさる有名な経済学者の秘書をしておられた。
事情を知ったNさんに「仏教は懺悔が大事」と言われても「私は懺悔しなきゃならない悪いことなど何もしていない。何故そんなことしないといけないのです?」というくらいだった。
勝軍地蔵と自分で口走っていてもそれが何なのやらもまるきりわからない。ただ、もう自分はこんな変な世界から抜一刻も早くぬけ出して普通に生きていきたい。だから師匠に何とかこの勝軍地蔵とやらを追い払えないか訊くのでした。
「それもよかろう…」と師匠も普通に生きていきたいという彼女の意見を入れて考えはしましたが…神仏を追い払うなど到底無理で、勝軍地蔵ばかりか、その脇侍の不動尊や毘沙門天もあいついで降臨し出して「お前は行者になって人を救え、澤山の人間が待っておるぞ。」という。結局は行者になるのはともかく得度だけでも…ということで白戸門下に入りました。
私には守護神らしき方は誰も下りてこない。
霊媒修行もしましたが大したことなくただの凡様な修行者です。
ただ、私は蛇の夢を母が見て受胎した子供。それから毎日ずっと蛇の夢を見て、出産の日に巳の日に遠く島のみえる海辺に蛇が泳ぐのを見て生まれた子供と聞かされていた。
なので縁があるのは弁天さんかもしれない。
波打ち際に蛇がいるのなら海水ではなく淡水だろうか。それなら琵琶湖の竹生島かな?
そうしたら後年、ある時に本当に不忍の池の弁天様がKさんに降臨してお前の修行を見守っておるぞといわれた。
まあ、Nさんやkさんと違い、実際は仕方なしに見てやるかという感じかもしれませんが私にしてみれば有り難いことです。
この経験から誰にでもNさんやKさんのようにはじめから修業に因縁の深い守護神がいるわけではない。むしろそんなことはないのが普通です。
時々、私の守護神を見てくださいとか言われるけど、「そんなものが誰にでもあるわけではない。ましてあなたは修行者でも霊能者でもなく、信仰が厚いわけでもない。将来的にもそういう可能性はない。よく言う干支の守護神でも拝んでおけばいい。」と言っています。
干支の守護神は一般のそういう人むきだと思う。コンタクトとりやすいのかも知れません。
私の場合は干支の守り仏は不動明王で初行でもこればかり拝むからいまさら守護神も何もないけど。
でも本気で行をするなら守護神を待たず、これはという方を口説いて頼めと弟子にいっています。
それにしても弁天ですから、人間の女性を口説いたこともろくにないのに、我ながらすごい女性を口説いたものです。(笑)