わが師の第一守護神は天満宮。
わが師の生まれた地方は霊峰石鎚山をいただく地方で。その町では霊媒祈祷が盛ん。
荒唐無稽に蒙かもしれないが、師匠は行く末を坊さんになれと叔母さん(職業行者)の霊媒で決めた。
その際に「守護するぞ、励め」と言われて降臨したのが地主神の天満宮だったという。
私は四国遍路の途上そちらの町により師匠の兄上にもお世話になり天神社(飛梅天神社)にもお参りした。
境内は町内の神社としては広いが木が多くうっそうとしていた。
今はだいぶ開けた場所になっている。私が遍路に寄ってからもう40年もたつしね。
かくして師匠はのちにはからずして天満宮と同体とされる聖天様のお寺・大福生寺に赴任することになるが・・・
師匠が大福生寺にいってからの話。
師匠の一番弟子で私の先輩に当たるN尼に元三大師が降臨して「私は叡山の○○にいる。迎えに来い」という。
叡山に問い合わせたら霊媒に出たとおりの尊像があった
もう消失してなってしまった講中の本尊らしい。
それではそれを是非お譲りいただけないかと願い出た。
時の山田恵諦座主も元三大師を深く信仰した人。
話の一部始終をありのままにきいて快諾され、喜んで元三大師法まで伝授された。
師匠は叡山にあって何かお大師さんに何かしら縁は結んだのだろう。
このように修行の発達をまって、現れる神仏というものがあるのだとこの時教えられた。
わが師は亡くなって久しいが、いまでも大井の大福生寺では正月三日にはお大師様の本地・如意輪観音護摩が修されている。
よく守護神を見て欲しいとか言われるが、本当にその人に有縁の守護神がいるなら探さなくても働いているし、時期が来れば現れるものだ。
霊能者を介在するときは自然と求めずしてそう告げられる。
「神、人をして言わしめる」というではないか。
こちらから霊能者を訪ねて行って、なんとか見つけてもらわれねばならぬようなものではない。
むしろ、わざと隠れていて「この仏さんは縁ないし、あまり信仰しようとも思わない」と思っているのがそれだ。惑障の故か、時機を見てのことなのかそういうものだと思う。
もちろん、ただ漫然と待っていてはダメで精進すべきは言うまでもない。
修行なきところに守護神までは必要ない。
私も元三大師を60過ぎて迎えたが兄弟弟子の霊感の強いk住職からは「一門衆は皆、元三大師様に陰ひなたなくお世話になっている。みなさん奉安すべきお方でしょう。」と言われ開眼していだいた。彼の守護神のひとりは元三大師だからだ。