私の師匠の守護神の一人は元三大師良源様でした。
比叡山の18代座主で神通広大。
比叡山の規範も整え、天台宗中興の祖といわれる。
日本仏教史の上でも重要人物。
山門・寺門の争いでは比叡山から幽霊になってでも鎧を着て三井寺を焼きに行ったという伝説があり、それくらい三井寺がお嫌いだった?
それで三井宗徒としてはあまりいい印象がなかったのが、実は山門・寺門の争いは大師の死後のお話でこれはまるきり伝説でしかないようです。
山門・寺門の争いに比叡山が法力絶大なお大師様を参加させて三井寺側の士気をくじくために出てきた話だったらしい。
そもそも大師のお師匠様が智証大師の系譜にある尊意僧正で双身毘沙門供を編み出したほどの方という。
さて比叡山で一般に大師信仰といえば伝教大師さまよりむしろこちらです。伝教大師様は信仰するというより徳を慕い学ぶ存在のお方。
この方をこよなく信仰するK師によれば、聖天様以上のかなり怖い存在でもあるのですが、そのご本地は如意輪観音ということになっています。
ですから元三大師様には普通本地供としては如意輪供を修します。
勿論、元三大師供というのもある。
師匠は正月の三日の縁日には如意輪護摩を焚いていました。
如意輪様自体はお優しい観音様のイメージが強い。
女性や子供顔に作っている尊像もけっこうありますね。
例えば三井寺観音堂の観音様は本当にあどけないお顔。まるで巨大な宝冠をつけたお稚児さん行列のお稚児さんみたいなお方。来年は新帝御即位行事の延長で特別御開帳ですからまた是非またお参りくださいね。
しかし、如意輪観音はもともとは宝部の三昧に入った観音様です。増益の観音様。
ほかにも天道の主宰ですので星除けに使う。星宿は五類天部のうちでは遊虚空天なので。観音様が悪い星たちに「悪さをしてはなりません。」と諭されるという。
すると凶星も災いをしない。
これによって「如意輪加星供」というものがある。
その他・古来、敬愛法にもよく祈るようです。
わたしの師匠と元三大師様の出会いの話。
弟子のNさんの霊媒に元三大師が出て迎えにこいという。
比叡山で待っているぞという。
それで叡山に問い合わせたら、ある昔の大師講の本尊だったお像が霊媒で言われたままの状況で存在した。
こういう霊媒に出てくる神仏は既に尊像として開眼されている存在の識体。いわば一種の「応身」のものです。あるいは尊像がなくても以前は尊像があったが破損、焼失したままの存在です。
基本的に法身や報身は霊媒にはかからない。
お前の行をたすけてやる。だから迎えに来いという。
時の山田恵諦御座主猊下は矢張り元三大師の信仰のきわめてあついお方でしたから、事の次第を聞き、とても喜んで尊像を御下賜され、大師供養法も師に伝授されたそうです。
私の話。
私は以前あるところに小僧としていく話があったが、夢に再三、立派な納衣を着たお坊さんが天狗を大勢召し連れてでてきて手招きし「そこへはいくな。わしのいるこっちにこい。」という。これはいま思えば元三大師様だったかもしれない。
当時は全く知らなかったがその来いというところが有名な元三大師の霊場なのでした。
結局、元三大師さんの来いというところにもいかなかったが、お告げ通りにその寺に小僧にもいかなかった。
まさか、夢の話はしなかったが、夢の僧侶が言うその霊場に行くのはどうでしょうか・・・?と師匠に訊いたら「最初は私もそこもいいかなと考えていたけどね、あそこは冬には雪は深いわ。人もいないわで、場合によっては一人でずっと留守番したまま。大変だからやめなさい。」といわれてしまいおしまい。
その後、行けと言う寺にいかなかったので師匠からは叱られたが、あとでその寺では古い小僧が組んで新人の小僧にあらぬ罪を着せて利を占める悪事をはたらいているという話を聞いた。
実際それで嫌になってやめてしまった小僧さんもあったそうです。
申し訳ない事とは思うがつくづく行かなくてよかったと思う。いっていたら盗人の汚名を着せられたかもしれない。
これは元三大師様に救われたと思います。
うちにも一体。写真のものと別に白木の如意輪さんがありますが弟子に変事がある尊像に不思議と尊像に変化が出る。
数珠が切れたり腕が落ちたりしたときは弟子と縁が切れます。
普段は供養法などしませんがそういう不思議はおきる。
如意輪様は怖いな・・・と思う。
今はその尊像は飯縄山にあります。