濱地先生は弁財天を信仰されていました。
庭の松に竜が登る霊夢に感じて「天松」と居士号をつけられた。
本名は八郎といわれたのです。
御著書の「金剛経要義」や「観音経要義」は濱地八郎となっている。
本業は弁護士でそれも政治犯の弁護がご専門でしたので弁舌ということから弁財天を信仰された。
東京に出られて金剛経の道場を持たれた。藤本大僧正の時代に大福生寺でも提唱された。
お弟子の林天朗先生は絵画や皮革工芸をされた、娘さんや長男さんもピアノをされた。
そこで守護神として芸術の神である弁財天(宇賀神)を信仰されたようです。
私も池上の弁天堂で堂もりの方の仲介でお目にかかって以後、金剛経の提唱にうかがった。
実は私は巳の日の14日、母が最初、海辺か湖か遠くに島が浮かびその波打ち際にたたずむ蛇の夢を見て懐妊、それからずっと蛇を夢を続けて生まれた子供です。
蛇と言えば短絡的に弁天様を連想し、それで弁天様に深く心を寄せてきた。
弁天様は大変十一面様に似ている、少しも妥協のない性格の極めてまじめな?天尊だ。
私は聖天様を拝む身ですが、一方でその底辺にはなにかしら、弁天様のつむぐ縁が静かに流れているように思う。そもそも我が母も絵描きで弁天信仰の持ち主だった。
いいかえれば弁天様の系譜のようなものを感じています。