拝むこととはいえ毎日仕事や行事に追われることが多いと、三井寺で加行していた30代初めのことがなつかしく思い起こされ。あれは私の人生で最高の贅沢だったなあと思います。
毎日生活や雑事の心配なく、ただただ毎日三座壇にあがって拝む。毎日お不動様のこと以外は考えないでいい。
こんな贅沢なことはない。
心にかかる雲もなし。いやいや雑念は山ほどあるけどね。心配事はない。去るもの日々に疎しになる。人間の頭脳はそうできている。
妻子がいれば会いたいと思うこともあるかもしれませんけど、それもいないし、会いたい人はとりたてていない。
その前後のお礼奉公、合わせてしばらく三井寺にいました。特に行が終わってもサッサとかえりたいとも思わない。
今はお礼奉公ってないのかもしれませんが当時はまだあった。
でも、この体験で思うのは行は摩訶止観の書いてあるように人里離れる。雑事を離れる。
これは修行においては大事だと思います。
少なくとも何かしながらの修行は成就しがたい。
その意味でうちでも修行者を飯縄山の奥の院にいって交流を断ち、念誦や護摩行してもらうのは大事だと思う。
まだはじまりもしないのに早く帰りたくてしょうがないようでは全然行は成り立たないですね。
せっかくの機会ですからジックリ行にひたってもらいたい。
とっても贅沢な時間なんですから。
携帯なんか気にしてるようじゃもったいないです。(笑)
今回わずか二日ながら三井寺で当道秘法がある。
うちからも何人か行くのでしっかりと修行して頂きたい。