だいぶ前だが、日光修験の伊矢野慈峰先生とお話しした時
「人は夢が大事だ」といわれた。
まさしくそうだと思います。
いいことをいわれる。
だから夢を失っているお年寄りは段々気力もうせて鬱病になるのか・・・と思います。
私にしても若い昔みたいになんでもやれるわけではない。
年を取ってくると体力は衰え、結果、友だちも出てこなくなるし、出かけない。会食もしない、どこにも行かない。
コロナで余計そうなった。
定年後なんか年金がたよりの暮らしだからこれという趣味も持てない方も多い。
孫や子供がいれば生き甲斐もあるんだろうが、結婚もしていないシニアは多い。
本当に孤独だ。電話でしゃべる人もない。老い先考えると猫や犬を飼うのもためらわれる・・・・
私はそんな現代の鬱鬱としたシニアに比べて昔のお年寄り心は元気だったようにと思う。
それは死後の「往生浄土」というビジョンがしっかりあったからでしょう。
浄土信仰の家が日本で一番多いというのもうなずけます。
浄土門でなくても死後行き通しだとすればそこにはそれなりのビジョンはある。
古い言葉だが「後生のいいように生きる」という生き方を積極的に選択することだって生き甲斐でしょう
そういう意味ではまるで信仰がない現代のシニアは気の毒だと思う。
現代では若い人の方が宗教への関心は高い。
亡くなった先の長吏様は奥さまを早くになくされた。
気さくな奥様で私もずいぶんとお世話になった。昭和13年生まれだからまだお元気でも不思議はないお年です。
長吏様は大変愛妻家でいらした。
長い間寝ていらしたが看病も自らされた。
その奥さまが亡くなって長吏さまはずいぶんお力を落とされたが、最晩年は「死んだらまた女房に会える」というビジョンがあったそうです。
ある霊能のある教師が「むこうでまたあえますよ」とそういったそうです。
それまでは死後の世界?と言う風に思われたそうですが、そこは多くの信者もある霊能者さんの言葉だけに励みになる。
現代では安心を与えられるのは信仰のない僧侶より善き霊能者かもね。
今の 坊さんなんかに聞いても拉致あかんわ。(笑)
大部、今風の死後のビジョンですがそれでも最晩年まで生き生きとされていた一つのよすがだと思う。
これは大事です。
昔、葬儀社さんの御話で浄土信仰の人は無くなったお顔が晴れ晴れとして奇麗といわれたそうです。
浄土門の功徳が聖道門に比べて宗教的に優れているかどうかとか言う問題は措いてそこには死後、往生浄土のビジョンがしっかりあった方はそうなんだと思う。 合掌。