仏教徒でも死んだらそれでおしまい。ナッシングだという考え。
そういうのは私は仏教だと思っていない。
そういう人の話はどんな偉い方のお話でも仏教だと思っては聞いてはいません。
最近はそういう宗派もあるようですが、どこだろうがお祖師さんはそんなアホなこと言ってるはずがない。
それでいて葬式などそうしてやれるのか。
おかしいでしょう?
仏教は三世思想です。
過去世・現世・未来世
我々の魂(阿頼耶識)は仏性顕現の旅する存在。
徳一さんと言う法相宗のお坊さんがいました。
この方は優れた奈良仏教の代表選手で、平安時代に台頭する空海さまや最澄さまと激しく論戦した。
徳一さんは成仏の機根について五つの性格を提唱している。
これを「五性各別」という。
人は生まれながら五つの機根がある。成仏しないものもいる。菩薩は菩薩。縁覚は縁覚。阿羅漢は阿羅漢と性分が決まっている。決まっていないけどこのいずれかになるものもある。仏になるのはここには入らない。別格だ。
勿論、その徳一さんだって人間は死ねばおしまいとは思っていない。
だから生まれ変わり死に変わりし修行してもこの五つの性格は変わらないという教えだ。
徳一さんは極めてすごいお坊様で奈良から遠く関東一円位まで布教された方です。
福島県などには彼の立てた古いお寺が多いし、筑波山などでは開山になっている。
私はそうは思わなないが、もし、命はこの世だけで終わるというなら徳一法師の言われた「五性各別」が一番真理だろう。
どこにも釈尊のような覚者はいない。
大菩薩もいない。
いるのは地前の小菩薩と部派仏教の聖者だけだ。
真言宗の即身成仏や天台以降の大乗だの一乗だのと言う絵空事は取り下げるべきだということになるだろう。