金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

多様性と好悪の話

「見た目キモいし無理」アンチにも大人の対応 りゅうちぇるに称賛「本当に尊敬する」(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース

 

ある視聴者がツイッターで、りゅうちぇるさんを名指しして「ああいう中性的な見た目キモいし無理」とコメントした。「気持ち悪いと思うのも多様性」などと持論を展開している。  りゅうちぇるさんはこのコメントを引用リツイートしながら、「本当その通り 色んな意見があって良いし、それが多様性」と同意。しかし批判的なコメントを書き込むことについては慎重な姿勢を見せた。「発信するかしないかは、相手の心の強さを見極める必要はありますよね、、僕は人前に出る以上色んな意見を頂くのは覚悟の上なので大丈夫です」  そのうえで「サンジャポ見てくださり、ありがとうございました」とコメントした。

 

りゅうちぇるさんのその言や好し!

この対応は正論だ。嫌いだというのも勝手だ。

例えば日本人は大嫌いという外国人がいてもそれはヘイトじゃない。

そいつの勝手だ。

例えば同じように外国人とは結婚したくないという人がいても個人の勝手だろう。

でも日本人は悪党ばかりだとか、外国人は嘘つきばかりで信用できないだと公言するならヘイトだろう。

 

善でも悪でもなく好きも嫌いのレベルは個人の自由だ。

最近はそれも差別だというバカがいる。

どう思おうと人の勝手だ。

だがその好きか嫌いかのどちらかを「世の中の正しい意見だ」などというのは馬鹿モノが言うことだ。100万人対1人であってもそれは問題ではない。

そいつはあくまで個人における好き嫌いでしかないのだから。

ただの好き嫌いだ。

りゅうちぇるさんへのこの視聴者の言葉も価値観というほどのいかなるものもそこにはない。餅に黄な粉かあんこかみたいなもんだ。

まあ、餅につけるのは黄な粉かあんこかどっちがいいみたいなもんだ。

黄な粉なんかは絶対いやとか、あんこは嫌いとかいうやつもいる。

 

たとえば私は爬虫類であるトカゲも飼っているが「爬虫類なんかなぜ飼うの?気が知れない」という人もいるだろう。

それはその人の勝手だ。良いも悪いもない。

実際「なぜ飼うのか」と聞かれたが「好きだから」というほかには言うことはない。

相手は首をひねったがどーでもいい。私のしったことではない。

だからといって爬虫類を気持ち悪いと思う人がいても別に悪でもなく、動物虐待でもない。

だから私はどんなにトカゲが嫌いだという人がいてもそれはかまわない。

トケゲでなくても動物苦手な人はいる。

それも自由。

そして、そういう人とは付き合いたくもないという私の在り方も自由。

嫌な人は見なきゃいいだけだ。何とも思わない。

誰が何を嫌いだろうが別に私が好みや趣向を変えるいかなる理由にもならない。

餅に黄な粉をつけるのが好きな人が逆にその食べ方は大嫌いだいう人がいたからといってもなんとも思わないのと同じだ。

 

好き嫌いは自由だ。だが他者に敬意を払うことを忘れた物言いはダメだろう。